桜さくら堂

いらっしゃいませ! 今日もあなたのために、とっておきのお話をご用意しました。

横須賀ドブ板ストリート・ストーリー ①

1.米が浜通りで

 夕暮れ間近に、謙太郎が横須賀の米ヶ浜通りを軽快に走っていると、後方から二人乗りの中型バイクが軽く追い越していった。後ろの男は、冬でもないのに黒いスキー帽を目深にかぶっていた。バイクは2メートルほど先を歩いている女性の真後ろで、ふっとスピードをゆるめると、女性のすぐ傍らをかすめるように走っていった。

ーーあぶない走りをするなぁ。

 そう思った瞬間、

「きゃあ」

 バイク の後ろの男が、女性のハンドバッグをもぎ取っていった。バイクはぐんとスピードを上げ、赤になったばかりの信号を無視して突っ切ると、そのまま安浦方面へ向かっていった。

「ひったくりだっ」

 そうわかった瞬間、謙太郎はバイクを追いかけて猛然と自転車を走らせていた。しかし、バイクと自転車とでは勝負にならない。謙太郎との距離はみるみる離れていった。

「くっそぉ~~っ」

 バイクを追いかけることをあきらめて、女性の所へもどった。すでに現場には、人が集まり始めていた。女の人はまだその場につっ立ったまま、おろおろとしている。

「ケガはありませんか?」

 女の人は問いかけにも応えず、ぼんやりとした目で、

「どうしよう……」

 うわずった声で、そればかりをくり返している。

「警察へ行きましょう。乗ってください」

 謙太郎はとりあえず、自転車の荷台を指さした。車だったら格好がついたのだが、まだ16歳の高校生なんだから仕方がない。

 謙太郎が女性を乗せて、警察へ向けて路地を右折し、T字路へさしかかった時だった。はるか前方から、さっきのバイクがこっちへ向かって走ってくるのが見えた。たぶん、通報されることを見越して、逃走方向を逆に変えて裏をかいたつもりなのだろう。それは常習犯に違いなかった。

 謙太郎は女性を道の端におろして、自転車を道の真ん中にとめた。そうして、走ってくるバイクをふさぐような格好で、両腕を広げた。

ギ、ギャウゥン!!

 驚いたバイクは、急ブレーキをかけてUターンしようとした。しかし、スピードが出過ぎていたために制御しきれず、スリップしてその場に倒れ込んだ。ハンドルを握っていた男はとっさに飛び降り、後ろの男はバイクと共に地面に投げ出された。

 バイクは横倒しのまま道路の端まで滑っていき、すさまじい爆音をさせて共済病院横の分厚いコンクリートの壁に激突して止まった。上向きになった前輪が、ものすごい勢いでスピンしている。

「いてぇよお~~っ」

 投げ出されたスキー帽の男が、悲鳴をあげている。まだ20歳そこそこに見えるその男の右足が、妙な格好にねじ曲がっている。もう一人の痩せてほお骨のとんがった男が、のろのろと立ち上がった。

 間もなくサイレンの音が聞こえてきた。それに気づいたほお骨の男が、はじかれたようにバイクにかけ寄って起こそうとした。

「ア、アニキィ~~」

 スキー帽の男が弱弱しく指さしている方角から、パトカーと救急車がセットになってやってきた。謙太郎は無意識で、赤いバッグを拾い上げていた。

  スキー帽の男は担架に乗せられ、救急隊員と警官に付き添われて共済病院内に消えた。被害者の女性は、婦警にうながされてパトカーに乗った。謙太郎も一緒に乗ろうとしたら、

「君は、あっちだ」

 でっぷりと太った警官が、別のパトカーを顎でしゃくってみせた。そのパトカーの後部座席には、すでにほお骨の男が乗せられていた。

「あの、違います、おれ……」

「いいから乗って」

 その警官は有無を言わせない態度で謙太郎を後部座席に押し込むと、その脇にドガッと座った。息が詰まって声が出なかった。謙太郎はほお骨の男とひっつくようにして、警察署へ運ばれていった。

 警察署へ着くと、謙太郎はほお骨の男とは別の部屋へ通された。そこはスチール製の長机とイスがあるだけの殺風景な部屋だった。TVでよく見る取調室とは違って、窓が広く駐車場がよく見渡せた。

「名前は?」

 一緒に入ってきた署員が、イスに座るとすぐに聞いてきた。小太りで顔が丸く、ちょっとアザラシに似ている。

「キタミケンタロウ」

 わざとぶっきらぼうに言ってみたが、気にする様子もなかった。

「北の見るで、いいね? で、ケンタロウのケンって、どんな字書くの?」

「ゴンベンです」

「あ、ちょっと待って。その前に事件名を書かなくちゃ。米ヶ浜通りバイクひったくり事件4と」

 四件もあの近辺でひったくりがあったのか、と驚いている間に、アザラシは謙太郎の名前と住所と年齢をノートに書き、さらにそれをPCに打ちこんでデータを拾っていた。

「あれ、君って、ニューヨーク生まれなんだねぇ。どんな感じなの?」

「さあ……」

 マンハッタンのハーレムで生まれたが、それは謙太郎が赤ん坊の頃の話だ。謙太郎の記憶に残るはずがなかった。そこへ若い署員がバタバタと入ってきて、アザラシに何か耳打ちをした。

「えっ」

 アザラシの顔色が変わった。

「謙太郎君も人が悪いなあ、あの男と無関係なんだって。それならそうと、早く言ってくれなくちゃあ。すぐにお茶持ってくるから、あ、コーヒーがいいかな?」

 どうやら誤解がとけたらしかった。

「それより、もう帰っていいですか?」

 窓の外はすでに暗くなっていた。

「おっと、そうだったね」

 アザラシが柱時計に目をやった。プラスチック製丸い柱時計は、いつの間にか午後八時をまわっていた。

「そろそろ、お家の人が見えるから」

「えっ」

「まあまあ、そう気を悪くしないで。すでに連絡しちゃったんだよ。たまには親子で帰るってのも悪くないだろ? ははは……」

 アザラシは、取り繕うように笑った。その肩越し、暗い駐車場に一台のタクシーが、静かに入ってくるのが見えた。後部座席には、誰も乗っていない。

「父さん」

 謙太郎がつぶやいた。その言葉に反応して、アザラシが後ろをふり返って見た。タクシーの運転席から一人の男が出てきて、足早にこっちへ向かって来るのが見えた。それに気づいたアザラシが、急いで席を立って出て行った。少しして、父親の哲男とアザラシが部屋に入ってきた。

「帰るぞ」

 哲男は謙太郎を一瞥して言った。すでに話はついているらしく、そのままスルーで署から出られた。アザラシが出口で、ほぼ直角に頭を下げていた。哲男は何も言わず、先に立ってタクシーへと向かった。薄暗闇に浮かぶワイシャツの襟元の白さと、後ろへなでつけた髪に混じった白髪がやけに目についた。