桜さくら堂

いらっしゃいませ! 今日もあなたのために、とっておきのお話をご用意しました。

横須賀ドブ板ストリート・ストーリー ②

2.ミス・ヒールのクラスで

 米ヶ浜通りバイクひったくり事件4--は、人づてに伝わるうちに、謙太郎がバイクを追いかけて犯人を捕まえたということになっていった。そのため学校では、ちょっとしたヒーローになった。夏休み前の今頃になって、陸上をはじめとしてさまざまな運動部が勧誘にやってくるようになった。しかし、真相を知っている大人の反応は、あまり芳しくなかった。

「キタミィ、バイクと戦って勝てると思うか?」

「えーっ、そんなの無理ですよ」

「じゃあ、戦うな。今回は運が味方してくれたから良かったようなものの、ひょっとすれば命を失くしてたんだぞ」

 最も言われたくない体育教師に言われた。

「ちぇ」

ーーおれだって、それほどバカじゃない。いよいよって時には、よけるつもりだったんだ。

 そう言おうと思ったが、やめた。そういう反論は、この手の大人には通用しない。むしろ火に油を注ぐような結果になってしまうのがオチだ。

 くさって学校から帰ると、家の前に若い女の人が立っていた。桜色のブラウスに、紺の短いスカートをはいていた。スカートからのびる足は、すらっとして格好が良かった。

 女の人は謙太郎に気づくと、ていねいにおじぎをした。一瞬、誰だったかなぁと思ったが、

「杉浦美由です。この間は、どうもありがとうございました」

「あ」

 ひったくり事件の被害者だった。あの時は色いろあったから、女性の顔をよく見ていなかった。

「ども」

 ふいをつかれて、ぎくしゃくと頭を下げた。もしかして声もうわずっていたかもしれない。

 くすっと、杉浦さんが笑った。笑うと小さなエクボができた。どこか素朴な感じがする。その笑顔を見ただけで、周りの大人に説教されたことは、もういいやと思った。

 ところが、事はそれだけでは済まなかった。その三日後、謙太郎は池尻ってやつに呼び出された。校内で会うことはめったになかったが、ある意味有名だった。

 池尻はパラダイスっていうロック・バンドのリーダーをやっていて、金色に染めた髪をイグアナのようにつっ立てているちょっとヤバい感じのやつだ。謙太郎とは同じ学年だが、年齢からすればどこかで1~2年足踏みしているはずだ。どうせ何か悪さでもして、落とされたんだろう。

 高校に入ってすぐに、偶然謙太郎はパラダイスが演奏しているのを聴いたことがあった。横須賀中央駅前にあるジャズ楽器のモニュメントの前で、路上ライブをやっていた。女の子がたくさん集まって、キャアキャア騒いでいた。

 通りすがりに聴いただけだったが、演奏はそう悪くなかった。池尻が叩くドラムのリズム感も良かったし、ギターもまずまずの出来だった。しかし、肝心のヴォーカルが、すべてをぶち壊していた。カツゼツがすごく悪いせいで、訳の分からないことを、ただうるさくわめいているだけにしか聞こえて来なかった。

 結局、呼び出しには応じず、そのまま家に帰ってしまった。その後、池尻から三回呼び出された。三回ともすっぽかした。すると謙太郎と同じクラスで、バンドのベースを担当している横山ってやつが謙太郎の耳元でささやいた。

「池尻さんが『主なるイエス』って曲を練習しておくんだな、だってさ」

「へえ、やつはクリスチャンなの?」

「いいや」

 横山は神妙な顔をして、ゆっくりと首を横にふった。

「美由さんだよ」

「?」

「杉村美由さん、知ってんだろ?」

「まあ……」

「前に、彼女にちょっかいを出したアホがいてさ、そいつ、ボコボコにされちゃったんだ。ひどいもんだったよ。そん時おれら、『主なるイエス』ってのを演奏したんだ」

「……彼女、池尻の?」

 横山は応えず、ふうーーっと深いため息をついた。

「あやまっちゃえばいいんじゃね? ごめんなさい、何でもやらせてもらいますってさ。そうすれば池尻さんだって、そう悪くはしないっしょ」

 事もなげに横山が言った。

「ふざけるな」

 彼女に特別な感情なんか持っていない。それになにより、自分に落ち度がないのにあやまる気など無かった。

「あれ、いいのかなあ。うまくいけば、ヴォーカルやらしてもらえるかもしれないぜ。バンドは女にもてるぞ、な、いい話だろう?」

 どう考えたって、それはありえない話だ。もしかして罠か、それともただのアホなのか? 謙太郎は、横山の真意をはかりかねた。

 「……」

「ロックが嫌いなの?」

 そう聞かれて、胸の奥が疼いた。

「いや」

ーーそうじゃない。ロックがどうとか、Jポップがどうとか、そうい話では無かった。音楽そのものがダメだった。

 相変わらずへらへらと薄ら笑いを浮かべている横山に、

「おまえとは違うよ」

 冷ややかに言って、背を向けた。

 それっきり呼び出されることは無くなった。

 ところが今度は、池尻の仲間に待ち伏せされるようになった。それで学校が終わるとすぐに、池尻らをさけて全力疾走で帰らなければならなくなった。いつまでもそれで済むわけがないのはわかっているが、今は他にどうするすべも思いつかなかった。それに体育は、特に走りは、謙太郎が最も得意とするものだった。

 そして、最も苦手とするのは、ミス・ヒールの……