「やめろ」
ひどい濁声がしたのは、エンディングの少し手前だった。それを無視して、弾き続けた。
「おい、聴こえねえのか?」
「ちょっとあんた達、待ちなさい」
マリアさんが制止した。それを振り切って、どやどやと複数の足音が近づいてきた。先頭の月面と見まがう顔は、横山だった。鼻のピアスが、ホクロのように見えた。
「静かにしろ」
横山の真後ろから、やけに冷静でトーンの低い声がひびいた。全ての影が、ピタッと止まった。
「そうですよ、池尻さん。こいつはまるっきりうるさいッスよね。もうこいつには、主なるイエスしかないスよ」
横山が上目づかいで言った。
「あら、あんたたち、クリスチャンだったの?」
いつかの謙太郎のセリフを、マリアさんがそっくりくり返した。謙太郎がふき出した。
「あっあ~~、もうダメだ。これでもうあやまったって、ぜってえ許されないぜ。アーメ……」
そこでぷっつりと、横山の声が途切れた。横山は池尻の強烈なアッパーをくらって、その場に仰向けに倒れた。
「お前だよ、うるさいのは」
床にのびている横山に向かって、池尻が冷ややかに言った。それから謙太郎には、
「ありがとうございました」
と、深々と頭を下げた。その不可解な行動に謙太郎がとまどっていると、
「杉村さんのことです」
池尻はまっすぐ謙太郎を見て言った。
「べつに。杉村さんはおまえの彼女ってわけでもないんだろ」
「まあな」
「だったら、礼を言われるスジでもないし」
周りがざわっとした。
「けど、オレとしては言っておきたかったんだ」
そのひたむきな目を見て、こいつ、わりといい奴かもしれないと思った。
しかし、よく見れば、その視線は謙太郎からわずかにズレている。その視線の先をたどっていくと、そこには達良が使っていたドラム・セットがあった。
「広尾達良さんが使っていたドラムだよ」
「ええっ、マジ?」
常に冷静沈着という池尻が、うわずった声をあげた。
「知ってんの?」
「そりゃあ、ドラマー界のレジェンドですから」
――やっぱりそうだったんだ。ただのオッサンにしか見えなかったけどな。
池尻はドラムセットをためつすがめつ眺めていたが、いつの間にかちゃっかりとドラムのイスに座っていた。しかも自分のバッグから、マイ・スティックまで取り出してかまえている。
「ありゃりゃ~~」
まただ。池尻が目を丸くしている。池尻って、こういうキャラだっけ。
「どうしたの?」
「これ、セカンドタムが無いよ」
「ジャズは――」
謙太郎は指先で、ライドシンバルを軽くつついた。
「これでリズムを刻むんだよ」
「へえ~~」 その直後に、池尻のスティックがしなった。強く正確なリズムが、シンバルで刻まれていった。
――さすがだ。一発で決めやがった。
「いいなあ、これ」 池尻は一目惚れした女子を見つめるような眼差しで、じいっとバス・ドラムの辺りを見て言った。
「お願いだ、北見サマ」
「サマ??」
「オレもメンバーにしてよ」
「はあ⤴」
「池尻さん、何言ってるんですか?」
謙太郎が言おうとしたセリフを、池尻の取り巻き連中が先に言った。
「パラダイスはどうなっちゃうんですかぁ?」
「解散だ!」
「ええ――っ、そんな」
「池尻さ~~ん、目覚ましてくださいよお」
パラダイスのメンバーが、口々に言った。
「うるさいぞ、お前ら。とっとと失せろ、さもないと」
池尻の凄みのある一喝で、パラダイスのメンバーは蜘蛛の子を散らすようにいなくなった。ウシガエルのような腹を突き出して、床にのびている横山だけを残して。
池尻はあこがれの眼差しで、
「いいなあ、このドラム~~」
ドラムをなでながら言った。
「そっちかよ?」
「あれ、オレ、いつ達良さんがいいって言った? いや、いいよ。それは認める。けど、オレだって、いや、オレこそ、次はぜってー、ナンバー1になる。な。ってことで、じゃあ、ヨロシク」
パシパシとシンバルを叩きながら、池尻が言った。
「待てよ、まだおれ、OKしてないよ」
「あら、いいんじゃないの。男前だし、人気が出るわよ」
マリアさんが、池尻のルックスだけを見て賛成した。
――やれやれ。
「勝手にしろよ」
それを聞いて、池尻がにま~~っと笑った。
謙太郎は再びピアノに向かい、もう一度さっきの曲をくり返した。それに合わせて池尻が勝手にリズムを刻み始めている。
その時、ビギン&ビギンの扉が開いて、また誰かが入ってきた気配がした。謙太郎はなぜが、心がワクワクと弾むのを感じていた。
―了―
※ 作者 YuYu(ゆゆ)談:『横須賀ドブ板・ストリート・ストーリー」お楽しみいただけたでしょうか?
この話は一旦ここでおしまいとなります。ちなみに作者は、公益社団法人 日本文藝家協会 著作権管理部 に著作権管理委託しております。