お題 / 回転寿司の秋刀魚
≪ 敬称略 ≫
森昌子
実はジュニアさんの(俳句の)ファンなんです。以前ね、バイクの俳句を詠まれたんですよね。本当に心温まる句で、優しさがにじみ出てるんです
石野真子
今回は(自信)あります。本当に考えました、今回は
相田翔子
全精神を使って(書いた) 1番伝えたい事を、五七五にぎっちり詰めました
ゆきぽよ
第3位発表後 ゆきより下が、この中にいる! 高校だてに4年行ってないし。それを中卒のジュニアさんが証明してくれてるから
宮尾俊太郎 (バレエダンサー)
普段、バレエは言葉の無い世界なので、どうかなと思ったんですけど、情景を表現して想像力を掻き立てる所では同じかなと思って。子供の頃から結構作文では、「ぶっ飛んだ作文だね」って言われてきたんで、今回のメンバーを見る限り、大丈夫でしょう
特待生1級 立川志らく
プレバトの収録日は、全部空けてますから。1年全部。他のテレビも入れないし、落語会も入れてない。いつ来ても大丈夫。そのくらい、私は賭けている。
特待生1級 千原ジュニア
森昌子さんに :全然そうじゃないんですよ、誤解されているんですよ。盗んだバイクで、窓ガラス割りますから。
立川志らくさんに:名人しか着物着ちゃダメなんですよ。
夏井いつき
静かな怒りが沸々と
【 第1位】 宮尾俊太郎 才能アリ 70点
回転寿司 根室さんまの ボレロかな
「まあ、皆さん、気になっていると思いますけど、ボレロ、音楽も、ボレロという舞台がありまして。ボレロというのは、モーリス・ベジャールという方が作った、それがまさに円形で、真ん中に1人主役がイテレーション、その周りを男性陣が何重にも囲んでいる舞台があるんですね。これ世界的に有名な作品なんで、まあその回転寿司から根室のさんまが沢山獲れる様子を彷彿とさせながら、ボレロの舞台へと想像が膨らんでいく、その光景が見えてくるっていう……」
※ボレロ:現代バレエの最高傑作と称されるモーリス・ベジャールが振付
夏井いつき
素直に書けばいいんだよというやつの見本ですね、前半はね。
回転寿司、表現するのが難しいのなら、上五の字余りは許容されるわけですから、上五に回転寿司って書いちゃえばいいわけですね。場面状況が一発でわかります。そして、季語を含んだ地名が出てきますね。根室さんまって言われた瞬間に、生きのいい美味しそうな色合いも見えてくるような気もしますよね。そして最後に、比喩を持ってくるわけです。ボレロかなというふうに、「かな」というのはすぐ上の言葉を詠嘆するわけですね。ということは、回転寿司でぐるぐる回ってくるこの根室さんまという札か何か立っているのかもしれませんが、これがどんどん、どんどんやってくる、この喜び、興奮、それはまさに、ぼくの心の中であのボレロの音楽がなって、舞台が見えてくるようだ……何て大げさな句なんだろうと思ったら、この人でした。
こういう事を思い切ってやる人ってのは、やっぱり才能はあるって思います。
【第2位】 石野真子 凡人 55点
きたきたと 豊漁まわる 皿の秋
「秋刀魚をお寿司で食べるということは、よっぽど新鮮でなくちゃ食べれないから、豊漁で回ってくる楽しさって、こうお寿司がきたきたって、こう回って、秋刀魚を食べて、すごく楽しいな。お皿の上に秋刀魚が乗っているっていうイメージで考えました。
『きたきた』っていう喜びの気持ちを、怒られるかなと思ったんですけど」
夏井いつき
問題なのは語順なんです。今、特待生がおっしゃった通りなんです。この語順でくると、きたきたと豊漁ですから、なにかもう漁場にいて、お魚の群れがきたきたってなる。で、回るって、何が回ってるんだろうと思って、ここからいきなりこっちに「皿の秋」にジャンピングするから、そこで読んでいる人を置き去りにしてしまうんです。1番好きなこのフレーズ、諦めてくれさえしたら何とかなる。これをここから始めなければ、こっち(残り)の良い所を、じゅうぶん活用できるんです。工夫の跡も見られます。
回転寿司にいる事を、先に見せてしまう。これだけのことなんです。
回りくる/皿 で、句またがり
回りくる 皿豊漁の 皿の秋
とこう続くわけです。皿をリフレインすることで、ぐるぐる回る気分を多少表現できるわけです。この発想「皿の秋」がなかなか楽しかったので、これを才能ナシにするのはもったいないです。
【第3位】 ゆきぽよ 才能ナシ 35点
秋の風 煙が乗って 目が染みる
「発想を飛ばしたんです、ゆきは。回転寿司っていうここにとらわれず、発想を飛ばして、七輪で焼いている秋刀魚を思い出して、秋の風って冷たいじゃないですか。元カレを思い出すじゃないけれど、ちょっと寂しい気持ちになりません? 秋の風って。秋刀魚と言わずに、伝えられるように努力したんだけど」
夏井いつき
秋刀魚と書かずに伝えるなんて、あなた10年早いわ! 秋の風が吹いて、煙が乗ってっていうから、あの写真見てない人は、たとえばSLの列車が走ってて車が乗ってきて、私の目に染みるわっていうふうに読む人だって出てくるでしょ。
秋の風じゃなくて、秋刀魚のことが書きたかったんでしょ? 書くの、秋刀魚って書くの。秋刀魚焼くって、焼いてたんでしょ。「焼く」って書くのよ。
「乗って」が、いかんのです。乗ってなんていうのは、つまらん擬人化ですから書く必要がないです。「乗って」があるから、SL列車と思われるんです。煙のにしておきましょうかね。
目が染みるも「煙の染みる」っていったら、だいたい目でしょ、ね。目以外のところに染みる時は、書かないといけないけどね。心に染みるんなら、風だけ生かして、煙の後に、煙の染みる夕の風ぐらいにしたらどうですか? 寂しい乙女心なんでしょ。
秋刀魚焼く 煙の染みる 夕の風
【第4位】 森昌子 才能ナシ 32点
秋の駒 寿司屋行く前 握り飯
「もう小っちゃい時は、果てしなく食べるんですよ。寿司屋に行く前というのは、握り飯を食わせる。あんまり食べないように。満腹にならないように」
夏井いつき
これは今話を聞いて、そういう意味と、今わかりました。なんでいきなり秋の馬が出てきて、寿司屋が出てきて、寿司屋行く前 握り飯食べるって、何? 読んだ人はそういうふうに思って、キョトンとしてしまうんです。の駒 とかって、比喩してる場合じゃないです。比喩してたら意味が通じなくなるんで、意味を通しましょう。
少し私がお話聞いていて面白いと思ったのは、寿司屋に行く前に握り飯を食べさすというこの事実が、ちょっとしたギャグマンガみたいで面白いじゃないですか。そっちで攻めたら、けっこう面白いですよ。寿司屋から行きましょう。
寿司屋行く前に 食べさすんでしょ。握り飯って言ったら音数長くなります。おにぎりくらいにしときましょうか。ひらがなで書いた方が、かわいいかもしれません。ここで自分が食べるんじゃなくて、食べさすんですね。わざとぞんざいに話し言葉のように、食わすぐらいに書いてみましょうか。
寿司屋行く 前におにぎり 食わす秋
こうくると、あ、食欲の秋ですねって、ここで食欲に着地してくれます。懐が痛い親が食べ盛りの子供に食わしてんじゃないのかなとか、先輩が後輩に先におにぎり食わして、エラそうに連れていってくれているのかなとか、色いろ思ってくれますよ。
【第5位】 相田翔子 才能ナシ 30点
取りそこね 流るる秋刀魚や 箸むなし
「回転寿司の流れてくるワクワク感があって、あっ、秋刀魚が来たな、旬のものだって目で追っていた。他のネタを食べているうちに、あ、行っちゃった! っていう、手元をパッと見たら、箸がカラッポで、秋刀魚食べたかったのに……この空しさを最後に落としたんです。
夏井いつき
これはね、あの写真をみんな見てるから、ある程度作者の言いたいことは想像はできるんです。ただこの字面だけ出されたとして、考えて、まずいきなり取りそこねる、流るる……逃げたのかな?とか。秋刀魚だから、あっ、秋刀魚漁をしていて、取りそこねて、色んなものが、秋刀魚も流れるわ、秋刀魚の網も流れるわ、何もかも流れたのかな? なんて読む人が絶対出てくるんです。そして最後、漁場だと思った瞬間に、箸むなしって、そこまで飛ぶ?! みたいな、ここで読み手はキョトンとする。
せめてこっち(箸むなし)からいけば、のっけから食べているところになるでしょう。むなしの良し悪しは、ちょっと置いておきましょう。むなしいと思ったんだもんね、書いた方がいい。
『箸むなし』これでさんまに行けば、食べてるってわかるでしょ。『秋刀魚の皿』ですね、これで回転寿司ってわかる。
箸むなし 秋刀魚の皿を 取りそこね
ってくるわけです。こうすれば、あなたの言いたい事は誰にでも通じるんです。ただ通じたけれども、ひねって、ひねってもとの普通の場所に着地したと、そういうことになります。(ここが志らくさんの最後の大事な押さえ、指摘してくれたところ)
昇格試験
特待生1級 立川志らく
秋刀魚寿司 廻りて外の 雨斜め
「これは秋刀魚の回転寿司を、こう、食べようと思って見ている。するとぐるぐるぐるぐる回っている。何気なく外を見たら雨が降り出して、それが実際に斜めに雨が降ることはないんだけれども、浮世絵の雨ってのは、みんなこう雨って斜めに降るって、これは有名なことなんで粋な感じがしたと。外が浮世絵の風景で。
評価のポイント
秋刀魚の是非
結果
現状維持 特待生1級
夏井いつき
秋刀魚である必要があるのか?
とはいえ、発想というか、映像の展開のさせ方というのは、やっぱり違いますね。流石だなと、これは思います。
この句の1番大事なポイントは、目の前で回転寿司が廻ってるんだけど、外の雨に視線がいって、特にここ、斜めというふうに描写できているところ、ここら辺りが上手いんですよね。
となったら、秋刀魚が主人公になっているかどうかっていうと、ここは何寿司でもいいような、要は廻ってりゃあいいという、そんな展開になります。ここで廻りてって書かないで、さっきの1位の句の展開と一緒です。もうひと押しやると、これすごく良い句になるんです、回転寿司の句として。廻りての要素をこっちに(上五)回転寿司と書いてしまう。
ここで季語が無くなります。ということはどうするか。ここを秋の雨斜めと持ってくるんです。そしたら、回転寿司は廻っている。そして、ふと見ると、外の雨は斜めに降っていると。
そうしたら、ここであと回転寿司の描写を入れるだけなんです。回転寿司、廻ってるんだけど、お皿が途切れる時がありますね。
回転寿司 途切れて秋の 雨斜め
そうすると、途切れた瞬間にすっと外に目が行くでしょ。こうきたらですね、文句なし、今日は名人になっていただきたかったと思います。
特待生1級 千原ジュニア
回転寿司 醤油注しけり 待つ秋刀魚
「とにかく秋刀魚を心待ちにしている。距離感をどう出そうかなと。行ったばかりくらいの秋刀魚を。1発目は秋刀魚からいくぞ。これを醤油をさしてとか、時間をつぶしながら待ってる感じを入れてみたんですけど」
評価のポイント
中七 さしけりの是非
結果
現状維持 特待生1級
夏井いつき
「注しけり」は、言う必要がない!
まずさっきの志らくさんの句に、秋刀魚でなくていいんじゃないみたいなことを言いましたが、あの句の場合には秋の雨の方に視点が行くから、逆にこっちが秋刀魚でなくてもいいという意味でした。ところがこっちは、『待つ』という、ここに動詞がありますから、あ、この人は秋刀魚を最初に食べる、これを待ってるんだな。これ(秋刀魚)が違ってるとかは、第3者は言えないわけです。作者は待っているんですから。
問題はここだけなんです。「注しけり」って、ちょっと「けり」まで使って、「注す」という動作を印象づけておりますので、逆に大事な「待つ」というこっちの動詞の印象が損をしてしまうわけです。この句の1番大事なところは(待つ秋刀魚)です。であれば、「注しけり」と言わないで「小皿」という小物を使います。いいですか、小さな皿と書いて小皿(こざら)に醤油、アップの光景です。小皿に醤油が入ってます。
小皿にしょうゆ 回転寿司に 待つ秋刀魚
ここまでくると、小皿に醤油を自分で入れて、秋刀魚が来るのを待っているのかなと、ちゃんと読み手の脳の中で再生されていくんです。
YUYUの気ままな感想です~~(*^_^*)
立川志らく さんは、努力家ですね。
現役東大生とかに、コテンパンにやられちゃっても、頑張って句を作っているところなんか、見習いたいです~~。
YUYUの勝手に参加コーナー
手を引きて 回転寿司の 初さんま
なんちゃって。
ここまで書いてちょっと疲れちゃったので、説明はブログの 次回につづきます~~💛