桜さくら堂

いらっしゃいませ! 今日もあなたのために、とっておきのお話をご用意しました。

ザリガニ・クラブ

                            

                                         f:id:sakurado:20200626112416p:plain [ 創作 ]YUYU作

 ≪ 大河の話 ≫

 中学1年になって早々に、進路相談の発表があった。

「もうすぐ夏休みだってのにな」

 大河がぶつくさ文句を言ったら、

「吉木くん、早めに将来のこと決めといた方が勝ち組になれるわよ」

 隣の席の佐藤さんが言った。この間まで一緒になってふざけていた幼なじみの亮までもが、神妙な顔をしてうなずいている。

「ちぇっ」

 意外にも相談日にやってきたのは、父親の大吉だった。大吉は自分のことをラッキー・ボーイと呼んでいる。もう五十を過ぎたというのにボーイかよ、と大河は思う。

 母親の喜子と結婚できたのは、じゅうぶんラッキーなことだったろう。大河が生まれたってことも。しかし、それ以外のことは、上手くいっているとはとても言い難い。仕事はどれも長続きせず、二、三年で変わっていた。ひどい時にはわずか一週間ってこともあった。当然、生活は苦しい。地位も名誉もない。今は建設現場の作業員をしている。そんな大吉がいったいどういうつもりで、大河の進路相談なんかにやってきたんだろう。

 大学出たての先生は、大河の一学期のテストの結果やなんかを机の上に広げて、進路についての説明を始めた。

「もっと頑張らないと、将来、難しいんじゃないかと……」

 先生のお先真っ暗な言葉に、大河はぐうの音も出なかった。

 大吉はかしこまって、大河のしょうもない成績を穴があくほどじいっと見つめていた。洗いざらしのポロシャツにグレーの作業ズボンをはき、白髪まじりの頭をたれた大吉は、どうひいき目に見てもショボい男としか映らなかった。

 やがて大吉が、おもむろに語り出した。

「おれ、いや私は、中学の頃、トランペットをやってましてね。先生はパーカーって知ってますか? アメリカのミュージシャンなんですが……」

「はあ」

 先生はとまどった顔をした。

「やめろよ、オヤジっ」

 大河が途中で、大吉の言葉をさえぎった。

 昔、トランペットをやってたんだっていうのが、いつもの大吉の口癖であり唯一の自慢でもあった。そんなことを真に受けている者は、誰もいない。

「吉木くん、お父さまに失礼よ」

 先生がたしなめた。

「いや、あの、今はオヤジの話じゃないだろ。ボクの進路相談なんだから」

 大河が言った。

「そうだな。……だけど、おれが言いたいことは同じだ。進む道を決めるのなんか、簡単だ。本心から自分がやりたいことをやればいいんだ」

 大吉はすっぱりと言った。

「そうですね。吉木くんも、何か一つ、これだけは誰にも負けないっていうのがあるといいと思うんです」

 いいカッコしいの大吉に大河はイライラして、ついにおさえきれなくなった。

「日雇いのくせに、偉そうな事を言うな。オヤジが好き勝手に生きてきた結果が、これじゃないか」

「いや、勝負はこれからだ」

「もう五十だぜ、オヤジ。勝負なんかとっくについてんだろ」

「オレは、まだマイッタしていない。だから、まだ負けちゃいない」

「はあ、なに言ってんだよ」

「パーカーはちいっとばかし、先を行ったにすぎない。なあにすぐに追いつくさ。九回裏ツー・アウトからひっくり返すから、ゲームは面白いんだ。それなのにお前は、まだ一回表から白旗を上げている」

「じゃあ、見せてみろよ。その九回裏2アウトからの試合ってのを」

 大河が言った。

――どうせ、出来っこない。ホラ吹きオヤジの、いつものホラに決まっている。

 先生はぽかんとした顔をして、二人のやりとりを見ていた。

 こうして大河の中学での第一回目の進路相談が終わった。まったく、誰の相談だったんだか。

  その翌日から、大吉のようすが変わった。今までだったら仕事が終わると、焼酎を飲みながらのんびりとテレビを観ていた。それが帰って来るなり、家の脇にある古びた倉庫に入ってゴソゴソやっている。

 そのうちに倉庫にあった古い扇風機や梅干しをつけていた大きな壺や、大河が小学生の頃に乗っていた自転車なんかを外に並べ出した。

「これ、どうすんの?」

「処分するから、いるものがあればどけておけ」

 大河は思わず、埃をかぶったスケボーを手に取った。だけど良く考えてみたら、捨てるには惜しいけれど、これからスケボーを使うかっていうとやっぱり使いそうもなかった。大河はまたスケボーを下に置いた。

「なんで倉庫の片付けなんかしてんの?」

「ちょっと、ジャズ・クラブをつくろうかと思うんだ」

 こともなげに大吉が言った。まるで、ちょっとビールでも買って来ようと思うんだ、みたいに。

「じょうだんだろ」

「思い出したんだ。おれがお前と同じ中一の時、本当は何をやりたかったのかってのを。――お前の進路相談の日だ。おれはあの時、あの場所で決めたんだ」

「マジか」

「父さん、今の仕事はどうすんの?」

 喜子が心配げに口をはさんできた。

「いつも通りにやる。店は夕方からだ」

 家族の驚きをしりめに、大吉は着々と準備を進めていった。

 倉庫の中の物を全部片付けると、掃除を始めた。掃除は徹底していた。壁や床だけでなく天井まで磨き上げ、さらには屋根まで洗った。次にペンキを塗った。どこかから廃材を持ってきては、釘で打ち付けた。ドアの両側に煉瓦を積み上げたりと、毎日飽きることなくやっていた。

 テーブルとイスは知り合いから譲ってもらったり、リサイクルショップで安く買ったりしたから、色も形もちぐはぐになった。ただカウンターテーブルだけは大吉が建設現場の仲間と作ったもので、アメリカのカントリー映画のような出来栄えになった。

 大河の夏休みが終わる少し前に、こうして大吉の店が完成した。黒いトタン屋根と赤煉瓦のエントランスの渋くていい感じの店になった。店の名前は、『ザリガニ・クラブ』。大吉が作った木製の不格好なザリガニが、ドアの上にはり付いていた。

 次に店頭に置く看板を作った。看板が出来上がって立てかけると、近所の人や通りすがりの人が集まってきて物珍しそうに見ていた。

 それから休む間もなく、ポスターとチラシを作り始めた。ポスターのデザインは、大河がパソコンで作って協力した。そのうたい文句は、

『ニューヨークから、偉大なミュージシャンのパーカーが、ザリガニ・クラブにやって来る!』

というものだった。

 ポスターが出来上がると、大河のテンションは最高になった。大吉もニヤニヤしながら、描き上がったばかりのポスターを見ていた。

 しかし、大河には不安があった。この際、はっきりしておきたかった。

「あのさ、本当に、パーカーが来るの?」

「来るさ」

「ニューヨークから?」

 アメリカの偉大なジャズメンのパーカーは、ニューヨークから出ないと言われていた。テレビに映っている超高層ビルがそびえ立つマンハッタンの空は、どんよりと曇っていた。

「こんな所へ?」

 大河の目の前には、のどかな田園地帯が広がっている。霞ヶ浦からずうっとどこまでも続くだだっ広い空には、雲一つなかった。

「ああ、こんな所へだ」

「それで、どうやって連絡を取ったの?」

 大河は核心の部分にふれた。

「手紙を出した」

「手紙って? え、まさか、それだけじゃないよね?」

「それだけだ」

「で、返事は?」

 大吉は黙った。

 とたんに大河のテンションが急降下した。ジェットコースターだって、こんなに急激には下がらないだろうってくらいに。

「それじゃ、来るわけないよ」

「大丈夫だ、タイガー。彼は来る、心配するな」

 大河の心を見透かしたように、大吉はきっぱりと言った。

 その一週間後、ついにザリガニ・クラブがオープンした。初日は日曜日だったので、真昼間から店を開けた。小さな店だったが、大河と親友の亮や、オヤジの仲間とかがつめかけて、それなりの賑いになった。そんな中、大吉は時どき黙り込んで、窓の外に目をやっていた。

 すると突然、喜子が店に飛び込んできた。

「父さん、大河、テレビを見て!」

 

≪大吉の話≫ ――大吉が中一だった頃――

「先生が来る」

 廊下から廊下に顔をつき出して、大吉が言った。先生とは、つまりこの時は校長のことだった。近頃ではディーンが学校で何か問題を起こした時、まずまっ先に来るのは校長だった。担任の高松先生では、もはやどうすることも出来なくなっていたからだ。

「ナアニ、ヘイキサ」

 ディーンが言った。強がりだってことは、大吉にはわかっていた。

 しかし、いつもは真っ赤な顔をして、板張りの床を鳴らしながらやってくる校長が、この日はやけに静かだった。静かすぎる……。嫌な予感がした。とにかく先に謝っておこうと、とっさに考えた。

「ディーンに悪気はない。絶対にないって、おれ、断言します!」

 大吉は床に頭をこすりつけて言った。

「大吉……。なぜ、きみが土下座までするんだ。きみは大丈夫だ。しかし、ディーンには、よそに行ってもらうことにしたよ」

 校長がいう他所っていうのは、単なる他の学校を指しているわけではないってことぐらい、大吉にはわかっていた。ここの生徒ではなくなったディーンは、もはや日本にはいられなくなるだろう。その先のことは、想像したくもなかった。

「ごめんなさい。ごめんなさい。もう一度だけ、チャンスをください。おれが止めさせます。絶対……。お願いします、先生っ」

 大吉の顔は、ゴミと汗と埃と涙でぐちゃぐちゃになった。

「ようし、お前がそこまで言うんなら、今回だけは先送りにしてやろう。ふん、なあに、ほんのちょっとのことだ。どうせこいつは、またすぐにやらかすに違いない。その時は、もう許しちゃおかない。大吉、お前もだ。このろくでなしと一緒に出て行ってもらうからな」

 とても教育者とは思えないような口ぶりだった。

 その間、ディーンは何もしなかった。大吉と校長とのやりとりを、立ったままぼーっと見つめていただけだった。

 ただほんの一瞬だったが、ディーンの深い緑色の瞳の奥に、見たこともないような光がチラッと見えたような気がした。が、それはすぐに消え去って、いつもの不愛想な顔にもどっていた。

 一年前、親を亡くしたという少年を、大吉の父親が連れ帰ってきた。大吉が挨拶しても、少年は黙ってうつむいたままだった。その少年の瞳の色がほとんど黒に近い緑色だと知ったのは、それから一週間も経ってからだった。

 ディーンはアメリカから親族が来るまで預かるということだったが、迎えはなかなか来なかった。それでしかたなく、日本の学校へ行けるように手続きをした。デイ―ンは大吉より二歳年上だったが日本語が上手くないこともあって、大吉と同じ中学校の一年に入ることになった。

 ディーンはワルというわけではなかった。ただ飛び抜けて背が高かったこともあって、良くも悪くも注目を集めた。日本の慣習にもなじめなかったらしく、悪い方で目立つことが多かった。

 クラスで目立ちたがり屋の子が、ディーンをからかった。それにディーンが反発したにすぎなかったが、ちょっとやり過ぎた。面倒なことに、その子が市議会議員の息子だったこともあって、校長は最初からディーンが悪いって決めつけていた。

「てんで、わかっちゃいないよな」

 帰り道、田んぼのあぜ道にすわり込んでしまったディーンに向かって、大吉がなぐさめた。しかし、こじれにこじれてしまった問題を、どうやって解決したらいいのか見当もつかなかった。

 ディーンが見つめている田んぼの脇を流れる用水路には、赤茶けたザリガニが動いていた。ザリガニは用水路のいたるところにいた。流れに逆らうかのように、壁にしがみついているのもいた。

「あのさ、知ってた? ザリガニってアメリカ生まれなんだよ」

 大吉が言った。

「……」

 返事はなかった。ディーンは黙ったまま、用水路を見ているだけだった。

 しだいに西の空が、茜色に染まってきた。筑波山の頂から麓にかけて、うす紫色から濃い藍色の見事なグラデーションになった。陰をおびたディーンが、いきなり口笛を吹いた。サッチモの『このすばらしき世界』だった。のびやかな旋律が、夕闇に溶け込むように流れていった。

 それを聞くと大吉はもうたまらなくなって、家からトランペットを持ってきて合わせてみた。

 トランペットはテレビで見たミュージシャンに憧れて、ちょっと無理して手に入れたものだった。このひと月、大吉としてはわりと熱心に練習をしたつもりだったが、まだ思うように音を出せていなかった。

「やっぱり、だめだ~~」

 途中でペットを投げ出して、土手に寝転んだ。そのトランペットを、ディーンが拾い上げて、

「ダイキチ、ミー、フイテイイカ?」

 ためらいがちに言った。

「ああ、いいよ。けど」

 難いよ、って言おうとした時、いきなりクリアーな音が流れ出てきた。

「吹いたこと、あるの?」

「ナイ。ダイキチのキイテ、ナントナク」

 そう言って、ディーンが笑った。白い歯がまぶしかった。才能ってものを、大吉が初めて感じた瞬間だった。

 その日以来、ディーンは静かになった。正確には学校で問題を起こさなくなったってことで、大吉の傍らではいつもディーンが吹くトランペットがやかましく鳴り響いていた。ディーンは怒りも悲しみも悔しさも、たぶん喜びさえもいっしょくたにしてペットに吹き込んでいたのだろう。

 ディーンの迎えが来たのは、暮れが押し迫った寒い日だった。ほとんど他人のような遠縁にあたる人が迎えに来て、ディーンはアメリカに戻っていった。空港で大吉は、トランペットをディーンに手渡した。

「これは、おまえが持っているといいよ」

「エッ。ダイキチ、イイノカ?」

「いいさ。これはおれには向かないって。ディーン、おまえなら、絶対、いいトランぺッターになれるよ。おれは店をやる。ジャズの店さ。オープンしたら必ずやってきて、おまえが一番目に吹くんだ」

「オッケー、ソースル」

 ほんの軽い気持ちでした約束だった。

 

≪ディーン・パーカーの話≫

 高度を下げ始めた飛行機の窓から、関東地方の輪郭が小さく見え始めた。

「……アイム、ホーム」

 ディーンがつぶやいた。

――大吉、きみはこのトランペットが、ワタシを変えたと思っているだろう。しかし、それは違う。

 父サンと母サンが死んで、ワタシはたった一人でこの見知らぬ土地に残されてしまった。ここがアメリカだろうがニッポンだろうが、もはやそんなことはどうでも良かった。父サンと母サンがいない所は、ワタシにとっては何の色も無い所、かりそめの白黒の世界でしかなくなった。そんな所に、もうこれ以上生きていたくなかった。両親が行った所が天国でなく、たとえ地獄だったとしても、ワタシはそこへ一緒に行きたかった。

 ワタシは学校でも荒れた。じつを言えば、あれはニッポンの慣習になじめなかっただけではなかったんだよ。……けど、あの時。

 大吉がワタシに代わって、床に頭をこすりつけて謝ってくれているのを見ていたら、突然、色がもどってきた。

 美しかった。色のあるこの世界は、なんて美しんだろう。ワタシは呆然と見とれていた。もちろん、嫌なことは変わらずいっぱいあったさ。けど、それ以上に、大吉のトランペットを吹けるのがうれしかった。

 ただ、それだけさ。それだけで、ワタシはここまで歩いてこれたんだ。

 今、再びニッポンに戻ってきて、大吉のとこでトランペットを吹くことが、どれほどうれしいことか。ワタシはこの日を、ずいぶん待った。ずいぶん、ずいぶん、待った。それまでは、どこにも行かないって決めていたのさ。

 空港にはパーカーのファンやたくさんの報道記者がつめかけていた。ディーン・パーカーが、突然、日本にやって来たからだった。

「パーカーさん、日本へは観光ですか?」

「ノオ」

「まさか……演奏では?」

 パーカーの褐色の手には、古びた愛用のトランペットのケースが握られていた。よく見ればケースの隅には、D・Yというイニシャルが刻んであるのに気がつくだろう。

 記者団の問いに、パーカーは日本語で応えた。

「そーです!」

 驚く記者団をすり抜けて、パーカーがタクシーに乗り込む姿がテレビ画面に映っていた。

「いったいどこで演奏するのでしょうか?」

「ええ、どこの大きなホールにも、予定は無いようなんですが……。タクシーは空港から北の方角へ向かったということです」

 アナウンサーが、口々に言っていた。

「北って、ぼくらがいる所だね。パーカーは来るんだ、ここへ、このザリガニ・クラブへ」

 テレビを見た大河が、叫びながらザリガニ・クラブへかけ込んできた。その声を大吉は背中で聞いていた。

 

*** YUYU談 ***

久しぶりに創作を楽しんでいただけましたでしょうか?

ご訪問くださった皆さま、心から感謝いたします。