「あなたの光をともしなさい」
おばあちゃんが引っ込み思案のシェルビーにいった言葉は、
同じように臆病だったおばあちゃんが、自分にいった言葉でもあった。
スウィート・メモリーズは、美しいすてきな思い出という意味です。
飛び立とうとするのをためらっているあなたの背中を、そっとやさしく押してくれるようなすてきな話がつまった本です。
金の星社
ナタリー・キンシ―・ワーノック・作
金原 瑞人・訳/ささめやゆき画
バーモンド州に住んでいるシェルビーという絵が上手い少女が主人公。
父親は酪農を営んでいて、母親は小学校の先生をしている。
📖あらすじ
おじさんが勤めているキャボット乳業でやるイラストのコンテストに応募するようにすすめられたけど、引っ込み思案なシェルビーはしり込みをしていた。
また、楽しみにしていた誕生パーティの前日、離れて住んでいるおばあちゃんの具合が悪くなって、ママと看病をするためにおばあちゃんの家に行くことになってしまう。がっかりしたシェルビーは、おばあちゃんにいやみをいうのだった。
おばあちゃん家には、数週間前からふらりとやってきたラザフォードという黒猫がいて、家族のように暮らしていた。
翌日、おばあちゃんは良くなってきて、シェルビーに誕生プレゼントといってカメラをくれた。だけどシェルビーが欲しかったのは、最新の13段切り替えの自転車だったし、カメラはぶかっこうな旧式カメラだった。
シェルビーはカメラをテーブルに乱暴に置いて、飛び出してしまった。ママに、
「あんなの、がらくたよ。すてるつもりでいたのを、くれたんだわ」
と、頭にきていうのだった。
夕食のあと、おばあちゃんと古いアルバムを見ることになったが、
「会ったこともない、とっくに死んでいる人たちの古い写真なんか、見たってしょうがないのに」って思っていた。
おばあちゃんは、子供のとき、大恐慌で、お父さん(シェルビーのひいおじいちゃん)は農場を手放さなくてすむように、カナダに出稼ぎにいってさびしかったと昔の話をはじめた。。写真はお父さんがもどったときに留守中のようすがわかるようにと、お母さんが(シェルビーのひいおばあちゃん)が撮りはじめたのだという。
おばあちゃんから聞いているうちに、シェルビーはだんだん写真に興味がわいてくるのだった。アルバムには若いころのおばあちゃんや家族の写真がいっぱいあって、このアルバムと猫のラザフォードがおばあちゃんの宝物だった。
日曜日になるとパパもやってきて、みんなで教会にいった。そこでおばあちゃんが聖歌隊でソロを歌っていた。曲はアメイジング・グレイスだ。
おばあちゃんは一番をひとりきりで、オルガンの伴奏もなしに歌った。その歌声は天井までのぼっていき、すきとおった美しい調べが教会じゅうにひびきわたった。
アメイジング・グレイス
なんという快いひびき
それは わたしのようなおろかな者も 救ってくれる
一度は迷ったわたしにも いまは道がひらけた
かつては盲目だったが いまはこの目もしっかりみえる
牧師さんがみんなに「あなたの光を、人びとあにのまえでともしなさい」というお説教をした。
おばあちゃんは、「歌はわたしなりに光りをともそうとしているだけよ」といい、
シェルビーにも「コンテストにだす作品は、もうかいたのかい?」と聞いてきた。
シェルビーがコンテストに応募しないというと、おばあちゃんは「シェルビーは臆病なのね」という。
「おばあちゃんは強いし勇気があるから、そんなことがいえるのよ。あたしは、おばあちゃんみたいじゃないから」というと、おばあちゃんは・・・
わたしはずいぶん長いこと、ほんとうに意気地なしだったのよ。自分でなにかを決めるのがこわくてね。よく、人まかせにしていたの。自分で決めたら決めたで、こんどは、それをやりとおすのがこわくて。
あなたには、わたしと同じまちがいをしてほしくないのよ。才能があるんだもの。夢を追いかけて、恐れずにいろんなことに挑戦してほしいの。あなたの光をともしてほしいのよ。
おばあちゃんは、大学にいくのが夢だったのだという。
「いまからいけばいいじゃない」というシェルビーに、おばあちゃんは、
「この年で? 大学の先生にも、ほかの学生たちにも、笑われるにきまってるじゃない」というのだった。
そして、教会から帰ってみると、おばあちゃんの家が火災で焼けてしまっていた。
猫のラザフォードもアルバムもみんな失ってしまったおばあちゃんは、シェルビーの家に身を寄せて、すっかり傷心して、何日もほとんどしゃべらないで、ものもろくに食べなくなった。
シェルビーはおばあちゃんを元気づけようと、屋根裏部屋にこもって絵を描き続けた。それはおばあちゃんといっしょに見たアルバムの写真を、そっくりそのまま描いたものだった。しかも、最後の1枚は、未来のおばあちゃんが大学の卒業証書を持っている絵だった。
またパパが焼け残った納屋から猫のラザフォードを見つけてきたり、教会やおばあちゃんの友だちがみんなでおばあちゃんの家をまた建て始めるという話をきいて、おばあちゃんは再び元気をとりもどし始める。そして、82歳だけど大学へ行くと決心し、シェルビーも一歩踏みだしてコンテストの出す絵を描き始めるのだった。
📖感想
作者のナタリー・キンシ―・ワーノックは、酪農を営む農家で育ったというから、この作品の主人公、シェルビーと同じような境遇です。
きっとこのお話には、作者の実体験が豊富に盛り込まれているのでしょう。
そのためどこを切り取ってもリアリティがあり、10代の少女シェルビーの気持ちが痛いほどわかり、共感を呼びます。
とくに最初の頃に、病気で寝込んでいるおばあちゃんに「ほんとうは、あした、誕生パーティだったの」といってしまって、おばあちゃんが後ろめたい気持ちにさせてしまったところとか、
おばあちゃんがささやかなお祝いをしましょうと言っても、「そんなの、いいわよ。パーティのかわりにはならないもん」ときっぱりといったりするところなど。
そんなシェルビーは自分勝手な女の子のようにも見えますが、本当は心やさしい少女だというのが次第にわかってきます。
おばあちゃんのアルバムを見て心を通わすようになってから、「光をともす」とはどういうことなのかと考え始めます。
おばちゃんがアーサーとの思い出がいっぱいつまった家と古いアルバム、小さな家族のラザフォードまで失ってしまい、
「なんだかね、わたしの光が消えてしまったようなそんな感じなの」
と、おばあちゃんが肩を落としていうと、シェルビーはなぐさめる言葉もなく、「おばあちゃん、大すきよ」というのがせいいっぱいだったのです。
それからシェルビーは、たったひとりで一生懸命考えて、おばちゃんのために小さな光を灯そうとし始めます。
土曜の午後、あたしは屋根裏から一冊のアルバムを持って下におりた。そしてそのアルバムを、おばあちゃんのひざの上におりた。
「これをずっとかいてたの?」ママがたずねた。あたしはうなずいた。
「どういうことなの?」おばあちゃんがきいた。
「みればわかるわ。おばあちゃんのためにかいたの」
おばあちゃんは、ゆっくりとアルバムをひらいた。
1ページめは、男の人が大きなぶたをひざにだいている絵だった。
「まあ、アーネストとエルマーじゃないの!」
おばあちゃんは大きな声をあげた。ページをめくるおばあちゃんの手は、ふるえていた。
「それにこれは、お父さんとフォードの新車だわ!」
「そうよ。おばあちゃんのアルバムを思い出しながら、そっくりにかいたの」
シェルビーは、すてきな光を灯しましたね。
この本、スウィート・メモリーズは読んでいるうちに、春風に吹かれた蕾のように心がほかほかしてきて、
今までためらっていたことをやってみようかな、ちょっとだけがんばってみようかなっていう気にさせてくれます。
あなたがまだ若かったら、
ここでなつかしいおばあちゃんに会えるでしょう。
そして、あなたがもし円熟した年齢だったとしたら、孫娘に・・・
いいえ、そこできっとあなたは、
過去のみずみずしい自分に再会することでしょう。
そして、おばあちゃんが若いころ、夜のピクニックでアーサーが聞かせてくれたというイギリスの詩人ウィリアム・クーパーの詩をここに紹介します。
この物語のすべてを語っているように感じる詩です。
なんと安らかな時を すごしてきたことだろう
楽しい思い出は けっして色あせることはない
しかし それを思うと心がうずく
もどらぬ思い出に 思いこがれて
―ウィリアム・クーパー
📖作者:ナタリー・キンシ―=ワーノック
アメリカ、バーモンド州ノースイースト・キングダム出身。
酪農を営む農場で育つ。
美術、スポーツ、小説などなんでもこなす活発な女性。
子供向けに多数の作品を発表している。
新しいことを決心して踏み出すのに、ちょっとだけ勇気がほしいあなたや、大すきな家族とのつながりを大切にしたいあなたに、ぜひ手にとってほしい一冊です。
もしかしたら、ここから新しい人生が始まるかもしれませんよ。
スウィート・メモリーズ [ ナタリ・キンゼー・ウォーノック ] 価格:1,320円 |
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