あなたはイジメられたことがありますか?
それとも、イジメたことがありますか?
そのどちらでもなかったですか?
この本〖もうすぐ飛べる!〗は、
小学校で実際にあったことを元にして書かれています。
越水利江子著/新日本図書
📖あらすじ
5年生の春海は、漢字テストで小川さんのカンニングを目撃したのです。
春海がカンニングに気づいたことを、小川さんも知っていて、それからはいつも春海のことを見張るようになりました。
そして、風邪を引いて春海がプールを休んだとき、小川さんは「春海の髪にシラミが見つかったから、プールを休んだ」というデマを流したのでした。
そこからイジメが始まりました。
小川さんは美人で人気があり、リーダー的な存在でした。
そのため女子だけでなく、上田くんや大前くんなどの軽薄な男子も春海を病原菌のようにあつかって騒ぐようになったのです。
その中でただ1人、青木くんだけは怒ったようなこわい顔をして、下を向いてしまっていました。
春海はひとりでの帰り道で、いなり池に寄り、巣から落ちたゴイサギのヒナをみつけました。ヒナはまだ飛べずに、逃げ回っていました。
またそこで、青木くんを見かけるのでした。青木くんは飼育小屋のウサギやニワトリのエサになるみみずを取りにきていたのでした。
学校でのいじめは執拗につづきました。
社会科見学でのバスの座席決めのとき、春海の近くだと、男子が「チョーサイアク」と言ってさけんだりしました。
すると春海は、目とのどが熱く腫れあがって痛くなったりしました。
春海はそれからも、ゴイサギのヒナに会うために、いなり池に行きました。
まだ飛べないひとりぼっちのドジなゴイサギのヒナが、まるで自分のように思えたのです。
イジメのゲームはますます広がっていって、男子のほとんどが春海とすれ違うたびに、「げえーっ、あぶねーっ」「うえっ」と言って飛びのくようになりました。
そんな時、春海は飼育小屋に行きました。
かつては人気があったうさぎも、今では飽きられて年老いたうさぎがうずくまって寝ているだけで、あまり人が来なかったからでした。
そこには青木くんがいて、ニワトリの世話をしていました。青木くんはニワトリと楽しそうに話をしていました。
そして、青木くんだけは、春海をいじめることなくふつうに接してくれたのです。
ある日、春海が飼育小屋の横をかけぬけようとすると、
「うわっと、あぶねー」
といって、青木くんが体をひねって飛びのきました。
たった1人だけ、いじめをしなかった青木くんまでもがと思うと、春海はショックでした。春海は、「わあああっ」と大声で泣いてしまうのでした。
そして、その日から、春海は学校へ行けなくなったのです。
行こうとすると、本当にお腹がいたくなってしまうのでした。
「なにがいけなかったのだろう。わたしが、なにをしたのだろう・・・」
私なんか、生まれてこなければよかった。私なんかいないほうが、みんな幸せなんだ。
と、そんなことをくり返し思うのでした。
そこへ青木くんがたずねてきます。
青木くんは、春海の手にそっとさくら色のたまごをのせるのでした。
ぶつかりそうになった時もいじめではなく、産みたての卵を持っていたからよけたのだと言いました。
そして、いなり池のヒナも、「もうすぐ飛べるぞう!」と告げるのでした。
📖感想
この話では、イジメを受けるようになった原因は、クラスのリーダー的な存在の小川さんがカンニングをしたのを目撃したところから始まっています。その後、いいかげんな噂から、イジメがクラス中に広がっていきました。
この本の内容は、実際にあったことを元にして書かれています。
カンニングした小川さんの方が、じつはイジメられる弱みを持っていたのです。
もしかしたら小川さんは、カンニングしなければならないほど追い詰められていたのかもしれません。あるいはもっと違う理由があったのかもしれません。でも、自分や自分のまわりに何か不満を抱えていたのでしょう。
狭い空間で圧力をかけすぎると、弱い所にその力がかかっていきます。
そういう理由がなくても、単に毎日が退屈でつまらないというだけで、いじめをする人もいると聞きます。それもあるかもしれませんね。
幸せで夢中になって自分のことを何かやっている人は、そんなつまらないイジメなんかでをやっているわけがないからです。
だけど、そんなことでいじめをやられては、受けた方はたまったものではありません。
春海は絶望の海の中で、「生まれてこなければ良かった。私なんかいないほうが・・・」とまで思うようになりました。
自尊心を傷つけられすぎてしまうと、そんなふうに極端に悲観的に思ってしまうものです。
だけど、春海の場合は、クラスでたった1人、青木くんだけはイジメずにふつうに接してくれたのです。
ふつうに接することは、何でもないようでいて、実はとても大切です。
作者がいうように、ふつうでいることは、とても勇気がいることでもあります。
イジメる人でもなく、イジメられる人でもない、ふつうの傍観者というのが、多くの人ではないでしょうか。
そのふつうの人は、イジメられている人に、同じようにふつうに接してほしいなと思います。それがどれほど力になることでしょうか。
と作者は、青木くんを通して物語っています。
そして、イジメられている人に対しては、
ワタクシは、あんまり酷いときは、学校に行かなくてもいいんじゃないかって思います。
それは負けではりません。負けは、まいったして、人生から降りるときを言います。
長い人生ではいろいろあるので、それは、勇気ある退却ってやつです。
自尊心がめちゃくちゃになって死んでしまいたくならないうちに退却して、
態勢を立て直して、いつかを待てばいいのでないのかと、
今は、そんなふうに思うようになりました。
📖作者について
越水利江子氏:高知県生まれ。京都育ち。
『風のラブソング』(岩崎書店)で、日本児童文学者協会新人賞、文化庁芸術選奨文部大臣新人賞受賞。
『あした、出会った少年』(ポプラ社)で、日本児童文芸家協会賞受賞。
その他、作品多数。
ちなみにこの作品について、作者越水利江子氏があとがきに、イジメについてこのように書いていますので、そのまま載せたいと思います。
いじめは、さいしょ、小さな遊びから始まります。
ふくすうの子が、たったひとりの子を、オニにしたりおもちゃにしたりして遊ぶのです。ふつうのオニごっこなら、オニはこうたいします。でも、いじめの遊びは、オニはずっとオニをやらされます。まわりの子たちも、自分にオニがまわってくるのはいやなので、だまって見てしまいます。
もしかしたら、つぎは自分がいじめられるかもしれないのに、「いじめはやめろ」といえる子はえらい。けれど、そんなスーパーマンみたいな子どもはめったにいません。大人の中にスーパーマンがいないように、子どもの中にだってスーパーマンはいないのです。
けれど、「いじめはやめろ」とはいえなくても、やめてほしいと思っている子はたくさんいます。
大人たちはすぐ「勇気ある子になれ」といいます。でも、勇気は「いじめをやめろ」と声にだしていうことだけではありません。いじめのグループとたたくことだけでもないのです。
こっそりでいい。人間なのに、おもちゃにされたりオニにされたりしているひとりぼっちの友だちと、ふつうに話してあげること。あたりまえの友だちでいてあげること。それだって、勇気のあることなのです。クラスのひとりひとりが、自分にできる『勇気』をさがしたら、いじめはしぜんとなくなります。
大人たちがいうムリな勇気なんか持たなくていい。子どもには、子どもの勇気があるのです。
以前、書いたものを、
もう一度よく考えて、書き直してみました。
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