昨日につづいて、富士山のお題でもう1句。
春愁やライブカメラでのぞく富士
富士山は上を仰ぐように見るのが一般的ですが、
スマホに映ったライブカメラの小さな富士山の映像をうつむいて覗くように観ている・・・のです。
どうして富士山を観ているんでしょうか。
大切な想い出とか
故郷とか
いつか頂上まで登ってみたいと思っているのでしょうか
それとも・・・・
こんな春の日に引きこもっているのは、何故でしょう。
深い悲しみがあるのでしょうか
病に臥せっているのでしょうか
すごく辛いことがあるのでしょうか
それともこれといった理由もなく、春ゆえの気怠い気持ちからでしょうか・・・
そんなことを色いろと思ったりしました。
春愁〖春の季語〗春愁、春愁ふ、春惜、春思、春かなし
春、自然が明るく、生命力にあふれ輝くとき、人の心はとらえどころのない、うつうつとした思いに駆られることがあります。
そこはかとない哀愁。春ゆえの気怠さを伴う愁い。
もしも正岡子規が現代にいて病床に臥せっていたとしたら、
きっとスマホで外の様子を観ていたのではないのでしょうか・・・
そんなことも思ってみました。
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