ぼくたちはバーの高い椅子に坐っていた。それぞれの前にはウィスキーと水のグラスがあった。
彼は手に持った水のグラスの中をじっと見ていた。水の中の何かを見ていたのではなく、グラスの向こうを透かして見ていたのでもない。透明な水そのものを見ているようだった。
「何を見ている?」とぼくは聞いた。
「ひょっとしてチェレンコフ光が見えないかと思って」
「何?」
「チェレンコフ光。宇宙から降ってくる微粒子がこの水の原子核とうまく衝突すると、光が出る。それが見えないかと思って」
スティル・ライフ/池澤夏樹 作/中央公論社
ぼくと佐々井とは染色工場でアルバイトをしていた。佐々井はちょっと謎めいた人物だった。その佐々井を飲みに誘ったのは、工場でのミスを佐々井がかばってくれたお礼の意味もあった。そこで佐々井は、こんなふうに意表をつくようなことを話し出す。
この感じ、どこかで似たような話があったような……と思ったら、ああ、そうだ、
「星の王子さま」だったと気がついた。
もちろん、ぼくが星の王子様での飛行士のぼくで、佐々井が星の王子様ですね。
スティル・ライフを読もうと思ったきっかけは、この本が芥川賞や中央公論新人賞を獲ったからではなく、マナブログというブログのマナブさんが、この本を「作家というのはとても美しい文章を書く」と絶賛していたので、どんなに美しい文章なのだろうかと興味を持ったからでした。
確かに。
その後、佐々井は仕事をやめてどこかへ姿をくらましますが、また1か月くらいして現れます。
その間、ぼくが経験した雪についてのエピソードを語っていますが、これもなかなか幻想的な話です。エピソードも面白いけれど、雪の情景描写にもはっとさせられます。
たとえばこんな文章・・・
音もなく限りなく降ってくる雪を見ているうちに、雪が降ってくるのではないことに気付いた。その知覚は一瞬にしてぼくの意識を捉えた。目の前で何かが輝いたように、ぼくははっとした。
雪が降るのではない。雪片に満たされた宇宙を、ぼくを乗せたこの世界の方が上へ上へと昇っているのだ。静かに、滑らかに、着実に、世界は上昇を続けていた。
ぼくはその世界の真中に置かれた岩に坐っていた。岩が昇り、海の全部が、膨大な量の水のすべてが、波一つ立てずに昇り、それを見るぼくが昇っている。雪はその限りない上昇の指標でしかなかった。
1か月ほどして再び戻ってきた佐々井は、ぼくにある仕事を手伝ってほしいといいます。それは思ってもみない仕事で……。
佐々井に指示されるままに仕事を手伝っていく過程で、ぼくは次第に佐々井の正体がなんとなくわかってきます。佐々井はある才能に長けていながら、世の中の不条理から世捨て人のような人生を送っていたのでした。
佐々井はある行動で今まで自分に敷かれていたレールを外れて、今までとは違う自由な生き方を手に入れたのですが、それと同時に今度はまた別の不自由を抱え込むことになったのです。
そんな中で佐々井は自分で運べるだけのもので生きていくという究極のミニマリストのような生活を続けているわけですが、そんな佐々井の最小限の持ち物に唯一反するものが、写真でした。
それは山々などを映した写真で、仕事の合間に壁にシーツをかけスライドで大きく映し出して眺めます。それを観ているうちにぼくは、不思議な感覚になっていきます。
次から次へと壁面に映される地形は、一枚一枚は数秒ずつ映っては次のに代わるのに、全体としてはまるで一つの地形がうねり、盛り上がり、ぶつかり、崩れ、雪を頂き、木々を養い、かぎりなく変転して地表の光景のすべてをそこで見せてくれているかのようだった。
ぼくは次第にその錯覚に取り込まれ、全身が風景の中に入り込んで、地表を構成する要素の一つに自分がなったような気持ちになった。
詩的な文章だなと思う。
ちなみに ”スティル・ライフ”とは、「 静物 」のことをいいます。絵画では「静物画」です。
そこには人物や風景とは異なる時間がそこには流れていて、ある種の生命の静かな時間を ”スティル・ライフ”と呼ぶ人もいます。
詩的で美しく幻想的な文章でつづられた心象風景を、後半部分の現実的でミステリアスな内容が小説としての形をなんとかとどめているように感じました。
最終的に佐々井は星の王子様と同じように、ぼくのもとから去っていくのですが、星の王子様と決定的に違うのは、佐々井には『バラの花がない』ということなのです。
この本は、『薔薇の花の無い星の王子様』の物語ですね。
それがこの本の読後感を、ものすごく寂しいものにしているように感じました。
佐々井は経済的にも自由を得たのですが、その自由は、なんて寂しいのだろうと思わざるを得ませんでした。
「山の写真」があるではないか。
佐々井にとっての薔薇の花は、山の写真ではないのか?
とも考えましたが、あれはいわゆる薔薇の花というよりも、母なる大地のようなものの気がします。母なる懐に抱かれ癒されているという印象です。
そのとき、ふと気がつきました。
そういえば佐々井は、困ったぼくを助けてくれたのです。あれはささやかな佐々井の愛ではではなかったのだろうか。星の王子様がバラの花に水をあげたり、囲いをつくってあげたようなものだったのではないのかと。変な意味ではないですよ。
そこに小さな佐々井にとっての「薔薇の花」があったからこそ、彼は再びぼくの前に現れたのではなかったのだろうか、そんなふうに思えてきたのです。
そうすると、最初の、星の王子様の設定が違ってきます。
スティル・ライフのぼくは、星の王子様での飛行士のぼくではなく、薔薇の花だったのです。
ぼくは、薔薇の花。
本当の薔薇の花ではなく、束の間の薔薇の花だったのだけれど。
佐々井も、いつか遠い宇宙の片隅で、本物の薔薇の花を見つけられたらいいな、是非見つけてほしいと、切に思えるような詩的に美しい文章でした。
池澤夏樹 さん
1945年、北海道帯広市生まれ。旅と移住が多く、ギリシアには75年から3年間在住。小説、詩、評論、翻訳など幅広い分野で活躍する。
著書に『スティル・ライフ』(中央公論新人賞・芥川賞)、『マシアス・ギリの失脚』(谷崎潤一郎賞)、『光の指で触れよ』『世界文学を読みほどく』『アトミック・ボックス』『キトラ・ボックス』等多数。
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