小学1年生のたくまは、小さい時から夢でうなされるほどなすがきらいだ。
給食でなすが出る日には、学校に行きたくなくなる。パパはむりに食べさせようとするし、ママはファイト!なんていう。
夏休みにおじいちゃんの家に行ったら、おじいちゃんは、
「いつかきっと、そのときがくるから」っていった。
そのときがくるくる/すず きみえ 作/文研出版
「そのときって?」
「おいしく食べられるときだよ。いまはきらいでも、おいしくおもえるときがくるものさ」
「ぼくにもくるかなあ」
「くる、くる。あしたかもしれんし、あさってかもしれん。中学生になってからかもしれんし、おとなになってからかもしれん。いつかはわからんが、そのうちくるさ」
そういうおじちゃんも、じつは昔、なすがきらいだったという。だけど、おばあちゃんと結婚しておばあちゃんがなす料理をつくってくれるのを食べているうちに、いつの間にかうまいと思うようになったとか。
おばあちゃんはお刺身。生の魚だというのが気持ち悪かったのだけれど、中学生のときにいとこのみっちゃんと食べてから好きになったのだという。
おじいちゃんは畑でいろいろな野菜をたくさん育てています。トラックで収穫をしているのだから、農家なのかもしれません。
「いつかきっと、そのときがくるから」
っていうおじいちゃんの言葉は、野菜を育てている農家の人ならではの言葉だなって思います。
きゅうりもなすもトマトも、みんな育ち方も花も実もそれぞれみんな違っていますが、その野菜の育ち方に合わせて、ゆっくりとその収穫のときを待ちます。
そういう焦らずゆったりとした気持ちが、たくまにも伝わって、たくまはちょっぴり気持ちが楽になってくるのでした。
「おじいちゃんにもきたのなら、ぼくにもくるかもしれないね」
「くる、くる。きっとくる」
おじいちゃんが、力づよくいった。
そっか。
ぼくにもくるんだ。
そういえば昔、給食を残さず食べない子は、みんなが後片付けをして遊びにいっても、お昼休みじゅうずうっと食べさせようとしていた先生がいました。
先生は子どものころ、好き嫌いが多かったのだそうです。大人になった今でもそのままで、食べられないものがたくさんあって困っているのだとか。
だから、自分のようにならないために、子供たちに厳しくしているのだとおっしゃっていました。
う~~ん、どうなんでしょう。
こういうことは今のご時世だったら、「虐待」っていうことになるかもしれませんね。
それに先生ご自身の問題を、子供に転嫁しているような気がしないでもありません。
じゃあ、子供が嫌いだというから、それでいいのかというと、これもまた違うような気がします。
茄子でいえば、私も子どもの頃にはそれほど美味しいとは思いませんでした。かといって嫌いでもなかったですが。
それが今では美味しいと思って食べています。子どもの頃と大人になってからでは、嗜好がずいぶん変わったと思います。大人の方が味に繊細になったというか、また苦い味とか辛い味も美味しく感じるようにもなりますね。
これはたぶん人間の成長にしたがって、必要とする栄養素も変わってくることも一因じゃないかと思うのです。子供はぐんぐん育って身体をつくっていく時ですから、お肉とか、そういうたんぱく質的なものが特に美味しく感じられるのかもしれません。
給食でいえば、私は学校の給食は美味しく感じられたので、いつも残さずに食べていました。
そんな私でも嫌いなものは・・・ウニ、イクラ。
あっ、これは学校給食で出ないから大丈夫ですね(笑)( ´∀` )
作者 すず きみえ さん
福井県在住。日本児童文芸家協会会員。
奈良女子大学文学部史学科卒業。子育てが一段落した頃から、童話作家を夢見て創作を始める。いつかきっとそのときがくるくると信じて、書き続けること十余年。この間に、日産童話と絵本のグランプリ(童話の部)、家の光童話賞で入賞。本書で念願のデビューを果たす。
いつもありがとうございます。