猫を迎えるときにはいつも「健やかなるときも、病めるときも……」
というフレーズがよぎります。
これから猫を飼う人に伝えたい11のこと/短歌・文 仁尾智/辰巳出版
もう猫を飼っているんですけどね。
すでにずうっと昔、私が生まれた時から猫と暮らし続けているんですけどね。
自分では気づかない何か注意点はあるかな、と思って読んでみました。
でも、読んでみてすぐに、「ああ……これは違う。そういう実用書とか注意を促す本ではない」と気がつきました。つまりこれは、
飼い主さんの、猫ちゃんへのラブレターなんだと。
飼い主さんと猫ちゃんとのエピソードが、愛猫かにとってはどれもこれも共感するものばかりで、「あるある」と頷くことばかりでついほっこりとしてしまいます。
その面白いと思ったことを、いくつかあげると……
我が家で言えば、「吾輩」と言いそうだから「なつめ」と名付けた猫は、いま「ヒゲ」と呼ばれています。
また、白地にグレーの柄だから「しぐれ」と名付けた猫は、いま「二―」と呼ばれています。
とあり、さらに
ヒゲのない猫などいないはずなのに ヒゲと呼ばれる顔をした猫
という短歌が、ユニークな猫ちゃんのイラストと共にあります。
あまりにもさらっと書いてあるので、最初は短歌だと思いませんでした。
ああ、名前って、後から変えちゃってもいいんだ。
そういえば昔、「マリア」と名付けた猫が病気がちで弱弱しかったので、「虎」って名前にかえたら、すごく元気になったことを思い出しました。
入ってた袋のほうでじゃれる猫 僕の選んだおもちゃをよそに
猫はすつけられない。
猫にしてほしくないことがあれば、「人間」が工夫する。
例えば、猫が何かを壊したら、壊されるような場所に、壊されるようなものを置いた「人間」のせい。
だから、叱らない、しつけない。あきらめることだって、立派な工夫のひとつだ。強制や矯正じゃなくて共生を。
「しょうがないなぁ」と苦笑いしながら、いっぱいあきらめてほしい。あきらめるって、素適なことだ。
そんな広い青空のようなふところを持った飼い主さんも、猫ちゃんは素敵だと思っているだろうな。
猫がしちゃいけないことのない家で しなくていいことばかりする猫
作者さんの家は複数飼いなのだとか。
玄関で靴を履いていると、「行くの?」みたいな顔で小首を傾げるのだ。
この外出前の罪悪感に、僕は耐えられるのか?
外出先では猫が寂しがっていないだろうかと気になって、複数飼っているのだとか。しかも9匹も。
罪悪感は激減したけれど、猫同士の追いかけっこや寄り添って寝たりするのを眺めるのが楽しくて、そんな猫を眺めていたくて外出ができないのだとか。
わが家では1匹だけれど、そばに来てすやすやと寝たりすると、いつまでもそれを見ていたくて起こしたくなくて、用事があっても「出かけるのは、また明日でいいか」となってしまいます。
買い物とか銀行の用事とかくらいでは、猫ちゃんに勝てません。
この家は長い道草なのですか 元野良猫が外を見ている
幸せは重くて苦いひざに寝る 猫を起こさずすするコーヒー
これ、短歌なのかぁ。これでも、短歌なのかぁ。
なんだか親近感がわいてきてしまうのは、題材が猫ちゃんのせいなのか。
短歌は俳句と違って、季語の縛りがなくて、七七の14文字と長い分だけ色いろと情報を詰め込むことが出来て面白そうです。
著者・仁尾智さん
1968年生まれ。1999年に五行歌を作り始める。
2004年「枡野浩一のかんたん短歌blog」と出会い、短歌を作り始める。
短歌代表作に『ドラえもん短歌』(小学館文庫)収録の〈自転車で君を家まで送ってたどこでもドアがなくてよかった〉などがある。
『猫びよりにて』にて「猫のいる家に帰りたい」、『ねこまる』にて「猫の短歌」を連載中。著書に『猫のいる家に帰りたい』
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