たとえば『おはよう』が、僕は言えない。
朝、目が覚めて、部屋から出てキッチンにいるお母さんの後ろ姿を見たとき、言うべき朝の挨拶が頭に浮かぶけれど、僕はそれを言えない。
最初の『お』の音が出てこないんだ。無理に言えば「お、お、お、おはよう』という格好悪い、つっかえた言葉になる。
柏崎悠太は吃音があります。そのため色々なことをあきらめ逃げてきたのでした。
中学入学の初日、自己紹介で恥をかきたくなかった悠太は、仮病をつかってその場から逃げたのでした。
その日の帰りに、放送部の勧誘のチラシを受け取った悠太は、強く心を動かされました。そのチラシには、こう書いてあったのです。
『練習すれば、上手にはっきりと声を出せるようになります』
僕は上手にしゃべれない/椎野直弥 作/ポプラ社
「ぼ、ぼぼ、僕のか、か、か、抱えているものはき、ききき、きき、吃音というそうです。いいいが、医学的には発達障害のひひひ、ひとつとしてにん、認定されますがに、にににに、日本ではほほほほ、ほとんど障害とみと、みみみみと、認められません。だから、ぼぼ、僕は障害者ではありません。でも、け、けけけ、健常者でもありません。ふ、普通じゃないのにふふふ、ふふふ、普通にあ、ああ扱われるというすごくあ、あああああ曖昧なところに僕はいます。……」
これは本の中で、悠太が語った言葉です。
確かにもっと大変な障害を持ってご苦労をされている人がたくさんいらっしゃいます。
でも、吃音もなかなか大変だろうなと思います。著者の椎野直哉さんはいいます。
『やはり一番思い悩んだのは子供の頃でした。』
心が壊れやすいガラスの時代は、吹き出物とか、髪型とか、持ち物などのほんのささいなことでも傷つきやすいのですから、吃音というのは大変大きな悩みであったことでしょう。
ただこの物語の少年悠太は、愛情深い両親と姉という恵まれた環境のなかにいました。
中学になってからは、クラスメートで同じ放送部に入部した美少女の古部さんが親身になってくれます。放送部の部長の立花先輩や顧問の先生も、悠太の吃音に理解を示してくれます。
「このへんで自分で自分の世界をせばめるのはやめにしたほうがいいんじゃないかな?」
これは立花先輩が、悠太にいった言葉です。
悠太は小学校の六年間、悠太はあらゆることを吃音だから仕方がないと諦めて、我慢して、他人をうらやんで過ごしてきたのでした。
中学は離れたところへ入ったので、小学時代の知った人もほとんどいなかったので、しばらくは吃音であることを隠していました。でも、国語の時間に『走れメロス』の朗読をあてられたため、吃音がみんなにバレてしまいます。
ほとんどのクラスメイトに好奇の目で見られ、笑われた悠太でしたが、ただ1人、古部さんだけが何故か悠太の見方になってくれるのでした。
放送部で悠太の発声練習をさせようとする古部さんでしたが、「逃げちゃダメ」という古部さんにも心を閉ざしてしまいます。
「……き、ききき、君はな、ななな、なにもわかってない。ぼぼ、ぼぼぼ、僕のことなんて、ぼぼぼ僕のくっ、くく、くくく苦しみなんてなにもわか、わわ、わ、わかってない」
「もう、君としゃべりたくない」
また、心配していつも見守ってくれている姉にも、「うるさいんだよ!」という言葉を投げつけてしまいます。
ところがその後、何の悩みもなくふつうに学校生活を送っていると思っていた古部さんや姉でしたが、実は2人とも、悠太よりももっと深い悩みや苦しみを乗り越えてきたのでした。
また姉の悠太を思う深い愛情に気づき、悠太は自分の苦しみだけに拘っていた過ちに気づきます。そうして、一歩ずつ前へ歩いていこうとするのでした。
それが上の青い文字で書いた部分で、これは悠太が自らすすんで市内弁論大会に出たときの内容の冒頭部分です。そして、こうもいっています。
「だ、だだ、だけどぼ、ぼぼ、僕はそれをのり、乗りこえたいと思っています。お、思いハンデだけど、それを背負いながらでもたた、た、た、戦おうと思っています。な、なぜなら、僕にはみ、味方になってくれる人たちがいるからです・・・」
実際、姉の覚悟には驚きました。と同時に、こんなに愛の深い人間になりたいものだと、本を読みながら思ったものでした。
現在、吃音は自己流の訓練で治る類のものではないというのが世界的通念だそうです。
また治療法も確立されていませんが、ごくまれになにかのきっかけで症状が軽減したり、治る人もいるそうです。なかなか難しい症状のようですね。
本は吃音という苦しみを背負った少年の心情を、リアリティを持って細かいところまでとても良く書いてあるので、もしかしたら当事者の方が書いていらっしゃるのかと思って読み進めていきましたが、あとがきにそのように書いてありました。
やはり事実が持つ重みというものがありますね。勉強にもなりました。ありがとうございました。
僕は上手にしゃべれない (teens’ best selections 43) [ 椎野 直弥 ]
作者・椎野直弥さん
1984年(昭和59年)北海道北見市生まれ。北見市在住。
札幌市の大学卒業後、仕事のかたわら小説の執筆を続け、第四回ポプラ社小説新人賞に応募。最終選考に選ばれた応募作「僕は不通にしゃべれない」を改題した本作でデビュー。興味があるのは、出会った人がどんな本が好きなのかを知ること。
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