あなたは、中村天風さんのお名前はご存知でしょうか。
聞いたことがあるような、無いような・・・そんな感じなのではないでしょうか。
つい最近、「大谷翔平選手が中村天風の運命を拓くという本を読んでいた」という記事があって、中村天風さんに興味を持たれた方も多いのではないでしょうか。
実は私もその一人なのです。
中村天風 運命を拓く×心を磨く/総合法令出版
中村天風は本名は中村三郎といい、明治から昭和の時代を威風堂々と生き抜いた人物です。
生まれは華族でやんちゃで正義感があつく、若い頃には「投石事件」や「刃傷事件」など「正しい」ことと信じたら一直線に突き進んでいくところがありました。
天風が10代には日清戦争、20代で日露戦争があり、天風は中国で諜報活動を行ったりしていました。
帰国後の30代で結核を患い、当時日本で結核の権威であった北里柴三郎博士から助かる見込みは無いとの宣告を受けました。
しかし、天風は救われる道を探して欧米に渡り多くの医師、哲学者や心理学者などを訪ね歩きましたが出会えず、傷心し、帰国しようとして立ち寄ったカイロで、インドのヨガ哲学の聖者カリアッパ師に出会います。
カリアッパ師に、「まだやってないことがあるよ。どうだい、俺と一緒に来るか」と問われ、天風は間髪を入れずに、「参ります」と答えたという。
天風はインドに渡り、カンチェンジュンガ山麓で3年の修行に入り、心理を体得して結核は完全に癒されて帰国します。
その後、30代前半で実業界の成功者となり、会社も複数経営し、地位も財産も家庭も築いていきました。
しかし、天風は豪遊をしていましたが、心底「喜び」を感じることがありませんでした。
天風が43歳の時、妻のいとこが神経衰弱になり、頼まれてアドバイスをしたことで人生の喜びを見出した天風は、それ以後、一切の役職を捨てて説法を行うようになりました。
92歳で天命を全うするまで、カリアッパ師から学んだヨガ哲学を日本のあらゆる人々に伝えて、精神的な支えとなりました。
「天風流」の人生成功哲学は、現在では当たり前のようになっていますが、積極的な心構えを持つ成功法のルーツは、日本では天風からと言われています。
「利」に生きず、
積極的な精神と信念のもとに
正義に則って生きる。
限りなき進化と向上こそ、
人としての正しい道なのである。
天風の教えを要約すれば、天風自身によるこの言葉につきます。
インドでの修業時代に、カリアッパ師から物事を肯定的にとらえることの大切さを教わり、考え方がガラリと変わりました。
病になったのも、過去の自分にも原因があったと気づき、全ての責任は自分にあると思うようになりました。
むしろ病になったからこそ、偉大な師と出会えたし、ヨガ哲学を学ぶことができたのだと感謝できるようになり、病も急速に快方に向かったのです。
本の前半は天風の人生の様々な出来事から、カリアッパ師に出会い真理に目覚めるまでの天風の人となりが書かれています。
後半部分は、さらに深堀して天風哲学の神髄とその実践法について書かれています。
その実践法は実際に本を読んで、お一人お一人が体得していただくのが良いと思いますので割愛させていただきます。
「たとえ身に病があろうと、運命に非なるものがあろうと、一切を感謝と歓喜に改めよ」というのが天風の教えです。
なんと強靭で前向きな考え方なのでしょうか。
天風が病に悩み苦しんで、そこからあらゆる手を尽くして、やがてはカリアッパ師にめぐり合い脱却し飛翔していったことを思うとき、
大谷選手が渡米しトミージョーンズ手術を受けるまでと、そこから肉体改造をして大成長を遂げるまでとが、なぜか同じように重なって見えてくるのです。
私のような凡人には、天風も大谷選手も雲の上の存在なのですが、それでもこの本を読んで、その片鱗にふれることが出来たような気になりました。
凡人は凡人なりに参考にすることは出来るもので、思ったように物事が進まなくても、毎日目覚めて生きていて、やりたいことができるというだけで嬉しくなってきました。
読みたい本が読めるということも、私の幸せの1つですね。
ありがとうございました。
著者 松本幸夫さん
1958年東京都生まれ。人材育成コンサルタント。
能力開発、メンタルヘルス、コミュニケーション術を主なテーマに、研修・講演活動を行っている。
年間に行う研修・講演は200回を数える。また「人物論」にも定評がある。
著書は『正岡正篤に学ぶ』(総合法令出版)、『できるリーダーの伝え方&語彙力』(三笠書房)などで、累計は220万部を超える。
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