猫が主人公の話は、『吾輩は猫である』ばかりではありません。
この本『ルドルフとイッパイアッテナ』は、黒猫のルドルフとボス猫でもあるトラ猫のイッパイアッテナが主人公のノラ猫冒険物語です。
猫といってもばかにはできませんよ。
人間顔負けの勇気と知恵と悲哀と、そして友情がたっぷりつまった面白い話です。
おもしろく読んでいるうちにじわっとなり、そして、いつしか
あなたの胸にスカッとさわやかな風がふきはじめることでしょう。
㈱講談社
ルドルフとイッパイアッテナ/斉藤洋著
ルドルフとイッパイアッテナ
あらすじ
リエちゃんに飼われて安穏とした生活をしていた黒猫のルドルフだったが、ある日、魚屋のおやじに追われてトラックに逃げ込んだところで気絶してしまう。
やがて目覚めると、そこは遠く離れた見知らぬ大きな街だった。
トラックから降りると、大きなトラ猫に声をかけられる。名前を聞かれて、
「ぼくはルドルフだ。あんたは?」
「おれか。おれの名まえは、いっぱいあってな」
「えっ、『イッパイアッテナ』っていう名まえなのかい」
イッパイアッテナはかつては飼い猫で、タイガーと呼ばれていた。ノラ猫になってからは、トラやボス、デカ、ドロなどと呼ばれ、ネコの仲間からはステトラと呼ばれていた。それで、名前がいっぱいあるという意味で、そう言ったのだった。
ルドルフのかん違いのまま、トラ猫をイッパイアッテナと呼ぶようになる。
イッパイアッテナはルドルフをなぜか気に入って、魔女のようなおばあさんや学校の給食、魚屋など、エサをもらえる場所を教えてくれるのだった。
ある日、金物屋のブッチーというブチ猫から、イッパイアッテナが猫の中では一番強くて恐れられていることや、
ノラ犬と決闘をしてやっつけたという武勇伝を聞くのだった。
興奮したルドルフは、イッパイアッテナのタンカをマネして、
「口ほどにもねえやろうだぜ。二度とねこに手出しをしてみろ。こんどは両耳ガブリとやって、ドラえもんみてえなツラにしてやるから、そう思え!」と言った。
するとイッパイアッテナに叩かれて、
「なんでもかんでも、おれのまねすりゃあいいってもんじゃない。ことばを乱暴にしたり、下品にするとな、しぜんに心も乱暴になったり、下品になってしまうものだ」と叱られる。
また、イッパイアッテナは教養もあって、人間の文字も読めるのだった。そこでルドルフにも文字を教えてもらうようになり、小学校にも行き、クマ男のような内田先生と親しくなるのだった。
夏休みの職員室で、内田先生が見ていた高校野球のテレビ画面にルドルフがいた町の高校がうつり、自分がいたところが岐阜だというのがわかる。しかし、今いる東京の江戸川区から岐阜までは遠く、どうやって帰ったらいいのか思いつかなかった。
ルドルフは絶望して泣きべそをかくが、イッパイアッテナに、いつか帰る方法が見つかるといってなぐさめられる。
ルドルフは期待と失望のなか、朝早く起きて神社近くの建設中のビルの屋上に出て、岐阜がある西の方をながめる。そして、昇ってくる朝陽を見て、必ず岐阜へ帰るんだと決心をする。
ルドルフが希望を胸に過ごしていると、台風の風が商店街のポスターを運んできた。
ポスターには、福引の特賞が岐阜へのバス旅行と書いてあった。ルドルフはこのバスに紛れ込んで、岐阜へ帰る計画を立てた。
岐阜へ帰る前々日の夜、
イッパイアッテナはルドルフに肉を食べさせて送り出そうとして、ブルドッグのデビルに肉をわけてもらおうとした。ところがデビルのだまし討ちに合い、イッパイアッテナは瀕死の重傷を負ってしまう。
それをルドルフとブッチーが内田先生に知らせ、動物病院で手当てを受けてイッパイアッテナは一命をとりとめるのだった。
岐阜へ行く日に、ルドルフはバスには乗らず、ブッチーと共にかたき討ちに行くのだった。作戦がうまくいって、ルドルフはデビルをやっつけたのだった。そして、イッパイアッテナの決めセリフ、
「口ほどにもねえやろうだぜ。二度とねこに手出しをしてみろ。こんどは両耳ガブリとやって、ドラえもんみてえなツラにしてやるから、そう思え!」
を言おうとした。
が、いっしゅん早く、それを言ったのはブッチーだった。
💛 感想
この話は、ごく普通の人間社会の日常を舞台にした冒険小説です。
人間を猫に置きかえることによって、何でもない当たり前と思えていた日常の世界が、目線を変えることによってまた違った世界に見えてきています。
それは冒険に満ちた単純明快な猫の活劇になっています。
冒頭で飼い猫だった黒猫のルドルフが、トラックに乗っている間に、住んでいる所を遠く離れて見知らぬ街に来てしまったというところで、ます、不安と興味と同情を持って、ルドルフにぐっと引き寄せられます。
帰れるんだろうか?
大好きな飼い主のリエちゃんにまた会うことができるのだろうか?
そもそも、これからどうやって生きていくんだろう?
と、興味しんしん。
もうすでにここで、読者はこの物語の世界の住人になってしまいます。
つぎに登場するトラ猫のイッパイアッテナが、とても魅力的に書かれています。
かん違いしてイッパイアッテナという名前で呼んでしまうところも、なんだかユーモアがあって面白いですね。
このイッパイアッテナは、なんだか人間社会にもいる兄貴のような頼りがいがある猫で、しかも文字が読めるし教養があり、義理人情にも厚いボス猫です。ケンカも強くまわりからは恐れられているけれど、ルドルフには親切で、ノラ猫として生きていくすべを教えてくれます。
さらに文字まで教えてくれて、そのことによって、故郷が岐阜だということや帰る方法がわかるようになります。その舞台に小学校やクマのような内田先生が登場するところは、知識の大切さを教えてくれているようにも感じます。
ノラ猫だっていい相棒がいると、そんなに悪くもないなって思わせてくれます。
ラストは結局、イッパイアッテナのために、今は岐阜へ帰ることを見送るという義理人情歌舞伎のような友情話で〆ています。
ここが物語のクライマックス、忠臣蔵の感動場面ともいえなくもないのですが、
実際はここ。
岐阜までは遠くて、帰るすべが見つからずに絶望したルドルフに、イッパイアッテナがこう言うところ・・・
ぼくは泣きそうになった。
「こんなことなら、なにもわからなかったほうが、へんな期待も持たないから、幸せだったんじゃないだろうか」
ぼくが、べそをかいて、そういうと、イッパイアッテナは、
「ばかやろう。なんてことをいうんだ。そういうのを、『知識にたいするぼうとく』っていうんだ。それにな、『絶望は、おろか者の答え』ともいうぞ」
そして、ルドルフが昇ってくる朝陽を見て、希望を抱くこの場面・・・
そのとき、後ろの空が、とつぜん真っ赤にもえあがった。ふりむいたぼくは、目がくらんだ。
日の出だ。
新しい一日が始まる。
まぶしいのをがまんして、ぼくは、のぼりかけた太陽を正面から見すえた。しばらく見ていると、ほんの少しずつ、太陽がのぼっていくのがわかる。じりじり暗い空気をおしあげていく。そうだ、ああいうふうに、なにがなんでものぼろうとするものは、だれもおしとどめることができないのだ。
かならず帰るんだ。そう心にかたく決心することがだいじなんだ。帰れないかもしれないなんて、思ってはいけないんだ。ぼくは、だんだん勇気がわいてきた。
かなと思います。
バスに乗らなかったのは、帰れないという諦めとはちょっと違うようです。
なぜなら、ほんとうの〆の言葉がこれですから。
ぼくはイッパイアッテナがけがをしたときから、バスで帰ろうなんて、考えちゃいなかったのさ。
帰る気なら、いつだって、歩いてだって、帰れるし、そのうち、またバス旅行があるかもしれない。あわてて帰ることはないんだ。
灰色の空が、いちどきに明るくなった。イッパイアッテナのもとに急ぐぼくたちのせなかを、朝日があたためはじめていた。
作者について
斉藤洋(さいとうひろし)
「ルドルフとイッパイアッテナ」で講談社児童文学新人賞受賞しデビュー。
その続編の本作で野間児童文芸新人賞受賞。
『ルドルフとスノーホワイト』で野間児童文芸賞受賞。
他「ペンギン」シリーズ等作品多数。
あなたの身近にいるような黒猫とトラ猫のとても面白くて愉快で、ちょっぴりうるうるっとする感動あふれた猫が主人公のお話は、こちらです。
ルドルフとイッパイアッテナ (児童文学創作シリーズ) [ 斉藤 洋 ]
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