・・・石川啄木の歌にこんな一首があります。
友がみな吾より偉く見ゆる日よ 花を買いきて妻としたしむ
仕事でも人間関係でも、思うにまかせないことがつづくと、周囲の誰もが自分より偉く見えることがあるものです。
――空海「折れない心」をつくる言葉――池口恵観著
周りが自分より偉く見えるのは、日常よくあることですね。
私なんか他人のブログを読んでいても、感心することしきりです。
まず内容に感心して、記事数の多さや毎日記事を書いていることにすごいなぁと思い、さらには読者数やPV数を羨んだり、さらには凹んだり・・・。
池口恵観大僧正は、本の中でこう書いています。
そんなとき、心を占領しているのは「どうせ自分なんか」「自分みたいにダメな人間はいない」という思いです。
池口恵観大僧正はそんな心も状態を「自己不信の袋小路」と呼んでいて、そこから出るには、『自分が一生懸命やっている姿を思い出しなさい』とアドバイスしています。
大切なのは、他人や周りの環境などではありません。
「自分は」どうするか、「自分なら」どう生きるか、という心のあり方です。
人と比べると凹んでしまうのですが、私も1年前、2年前の自分のブログと比べてみたら、それなりに読者数もPVも少しずつですが伸びています。僅かな伸びでも、それは自分なりに一生懸命やってきたからだなと、ちょっとだけ元気になれた言葉でした。
それにしても、石川啄木の歌集『一握りの砂』の短歌にあるように、
失意のときに、自分を支えてくれている妻に花を買って帰って親しむとは・・・
なんてしなやかな人なのでしょうか。
ちなみに、それはどんな花だったのか、気になりますね。
俳句であれば「花」といえば、桜をさすものですが、これは桜ではないと思います。
石川啄木の『悲しき玩具』には、
放たれし女のごとく、わが妻の振舞ふ日なり。ダリヤ見る。
というのがあります。
ダリヤでしょうか・・・。
まっ白いダリヤでしょうか、それとも・・・・
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『心のそうじ』は、2日続きました。
最近、目が疲れ気味なのか、紫外線のせいなのかぼんやりするので、
目薬とビタミンを買ってきました。
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