桜さくら堂

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秩父ミューズパークの銀杏並木を散歩しました👟

黄金色の銀杏を堪能するには、やっぱり、秩父ミューズパークがおすすめです。

ここは銀杏並木が、約3キロにわたって両側に植えられています。

旅とまではいかないけれど、日常から離れた所を散歩してみるのも、気分転換になっていいものですね。

 

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スカイロードという遊歩道は、広さが18mもあるので、黄色く色づいた銀杏の中を、マイペースで心ゆくまで散歩することができます。

f:id:sakurado:20211110115002p:plain車などを気にしないで、のびのび散歩できるところがいいですね。

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色いろな自転車も貸し出しているので、自転車での散策も楽しいですね。

無料の駐車場が所どころにあるので、適当なところに停めて、そこからすぐに散歩ができます。

 

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↑↑↑

スカイトレインも走っているので、歩き疲れたら、復路はスカイトレインで駐車場までもどるのも、いいかもしれませんね。

これって、小さな子供が多いのかなって思ったら、子供は少なくて、乗っているのは大人の人ばかりでした。

 

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遊歩道にある喫茶店でひと休みです。

私は樹液ティ~というのを飲みました。ほんのり甘くて森林の香りがしました。

テイクアウトもできます。

他に、音楽堂や野外ステージ、テニスコートなどもあります。

 

f:id:sakurado:20211110113727j:plain ミューズの泉

ミューズパークという名称は、

ギリシャ神話の学問と芸術を司る9人の女神の総称『ミューズMuse』にあやかってつけたものだとか。

f:id:sakurado:20211110114811p:plainペット連れの人も、たくさんいましたよ。

ほとんど、ワンちゃんですけど・・・。


〒368ー0102 秩父郡小鹿野町長留2518

 

 

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お菓子との出会い💛フルーツ・サンドイッチ💛おやつの感想・レビュー

初めてTVで、フルーツ・サンドイッチを見たとき、

惚れてしまいました!

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これが、ひとめぼれというやつやった!!

(なぜか京都弁)

まぁ、でも、おやつに関しては、しょっちゅう、ひとめぼれしてる・・・

っていうか、

だいたいおやつとの出会いは、ほとんどがひとめぼれなのだ。

 

出会ったその日から、ずーーっとひたすら

(想いつづけてはいないけれど)

そのお菓子ばっかし、食べてますう。

まさに通いづめや。

(また、いきなりの京都弁)

一筋に、そればっかり。

そして、ある日、ぱたっと飽きる。

これのくり返しや。

(相手が人やったら、えらいこっちゃ)

 

でも、このフルーツ・サンドは、近くに売ってないので、諦めた。

それに行列やて。

つまり、高嶺の花やった!!

その高嶺の花の、どこぞのお姫様のようなフルーツ・サンドが、

ついに我が家にやってきましたっ❣

 

ジャーン!!

 

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ジャーン‼

 

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お値段は、シャイン・マスカットのが900円で、ミックスのが750円でした。

 

サンドイッチなのに、ついケーキのお皿に乗っけて、フォークまでつけてしまった。

なにしろ、高嶺の花やから、特別扱いなのよ。

家じゅうのお座布団を出して、しっ、や。

 

おそるおそるひと口食べてみる・・・

ケーキとサンドイッチの真ん中の味やった。

 

想像以上でも、想像以下でもなかった。

ただ、生クリームがたっぷりで、

甘すぎないので、フルーツの味を引き立てていました。

そして、パンともマッチしています。

生クリームが、ちゃんと脇役をやっていながら、主役っぽく目立っています。

時どきいますね、こういう俳優さん。

 

でも、じつは私、生クリームが大好きなんです。

生クリームに惚れた口なんで。

でも、やっぱり敷居が高いので、

通いづめというわけにはいきそうもないですっ、

なのでフルーツ・サンドイッチとは・・・

 

い~つか、また逢いましょう~

その日までサヨナラ 恋心よ~~

(サウタージ・ポルノグラフィティ)

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と、ゆー感じの出会いとなりました。

 

・・・しかしここに、

そもそもフルーツ・サンドイッチはお菓子なのか?

とゆう疑問が残った・・・のでした。

 

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虔十公園林 宮沢賢治/感想・レビュー

風がどうと吹いて、ぶなの葉がチラチラ光るときなどは、虔十はもう、うれしくてうれしくて、ひとりでに笑えてしかたがないのを、むりやり大きく口をあき、はあはあ息だけついてごまかしながら、いつまでもいつまでも、そのぶなの木を見あげて立っているのでした。

 

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虔十公園林  宮沢賢治・作/髙田勲・絵/にっけん教育出版社

お題「我が家の本棚」

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虔十はいわゆる知的障害者として描かれていますが、この少年は誠に美しい心根を持った人間なのです。

賢治は自ら、こう語っています。

 

わたくしたちは、氷砂糖をほしいくらいもたないでも、きれいにすきとおった風をたべ、桃いろのうつくしい朝の日光をのむことができます。

 

この虔十(けんじゅう)という名前は、自身の賢治(けんじ)をもじったものともいわれています。

 

虔十は純粋なので、そういう自然の美しいものを見てうれしくて思わず笑ってしまうのですが、それを子供たちがバカにしますから、笑っているのをごまかしたりするのです。

 

さて、その虔十が、

「お母、おらさ杉苗七百本、買ってけろ」

それを家のうしろの野原に植えたいのだと言います。杉が育たない土地ですが、父親は虔十がたった一度だけ親にねだったものだからといって、買ってやります。

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虔十がそこに杉の苗を植えると、

あんなところに杉など育つものでもない。底はかたい粘土なんだ。やっぱりばかはばかだとみんながいっておりました。

 

杉は五年までは緑色の心がまっすぐに空のほうへのびていきましたが、もうそれからはだんだん頭がまるくかわって、七年目も八年目もやっぱり丈が九尺(約2.7m)ぐらいでした。

 

すると今度は百姓が、じょうだんで、「枝打ちをしないのか?」とからかいます。

枝打ちというのは、下の方の枝を山刀で切り落とすことですが、虔十は真に受けて、片っぱしから杉の下枝をはらっていってしまいます。

すると虔十の杉はどれも背が低いので、枝打ちをしてしまうと、その小さな林は明るくがらんとしてしまいました。

 

それが逆に作用して、明るい並木道のようになったものですから、今度は近くの小学校の子供たちの大すきな遊び場になったのです。

 

虔十もよろこんで、杉のこっちにかくれながら、口を大きくあいて、はあはあ笑いました。

 

そして、それをこころよく思っていない平二に、杉の木を切れと迫られます。

しかし虔十は、

「きらなぃ」

と言って、拒みます。

これが虔十の一生の間の、たった一つの人に対する逆らいの言葉だったのです。そのため、虔十は平二に、どしりどしりと殴られてしまうのでした。

 

そのあと、虔十も平二もチフスにかかって死んでしまいます。

つぎの年、その村に鉄道が通って、駅が出来、畑や田はつぶされて家になり、どんどん栄えて町になっていきます。

しかし、虔十の林だけは、そのまま残っていました。

子供たちは虔十が亡きあとも、変わりなく毎日、虔十の林に集まって遊んでいました。

 

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歳月が流れて、昔、その村から出てアメリカの大学で教授になった人が、久しぶりに故郷にやってきます。何もかも変わってしまったふる里で、虔十の公園林だけがそのまま残っていると言って喜びます。

あれから20年が経ち、虔十の両親もすっかり老人になっていましたが、この杉林だけは虔十の形見だからと、いくら困っても売らなかったからでした。

教授はこう言います。

 

「ああまったくたれがかしこく、たれがかしこくないかはわかりません。ただどこまでも十力(ほとけのそなえる十種の力)の作用はふしぎです。

ここはもういつまでも子どもたちのうつくしい公園地です。

どうでしょう。ここに虔十公園林と名をつけて、いつまでもこのとおり保存するようにしては」

 

そして、その通りになります。

杉の黒いりっぱな緑、さわやかなにおい、夏のすずしいかげ、月光色の芝生が、これから多くの人に本当の幸せが何なのかを教えていると賢治は語っています。

 

そして林は、虔十のいたときのとおり、雨がふっては、すきとおるつめたいしずくを、みじかい草にポタリポタリとおとし、お日さまがかがやいては、あたらしい空気をさわやかにはきだすのでした。

 

宮沢賢治は教師をしながら、農芸化学者として、貧しい東北の農民のために尽力してきました。

また、仏教にも篤い信仰心を持ち続けていました。

このお話のなかに出てくる十力の不思議な力の作用を、大学の教授に語らせていますが、これはこのまま賢治の思いなのでしょう。

そもそも、虔十が杉苗を7百本と考えつくのもふしぎです。

ここから、もうすでに十力が作用していたのかもしれません。

 

さて、このお話のなかで、虔十には両親と兄がいることがわかりますが、とても思いやりがある家族です。

 

おっかさんにいいつけられると、虔十は水を五百ぱいでもくみました。一日一ぱい畑の草もとりました。けれども虔十のおあっかさんもおとうさんも、なかなかそんなことを虔十にいいつけようとはしませんでした。

 

それから、杉苗を買ってやるところ、

また、枝打ちをして林があんまりがらんとなってしまい、虔十がぼんやり立っていると、

「おう、枝集めべ、いい焚きものうんとできた。林もりっぱになったな」

そう兄さんが言うところなど、

温かい家族につつまれているようすが、さりげなく語られています。

 

賢治も仏教を信仰している父親と、「人のために尽くすように」といって寝かしつける慈悲深い母親の長男として生まれ、弟妹4人の長男として育ちました。

そういうことも背景にあるのではないのでしょうか。

「虔十公園林」は賢治の作品、銀河鉄道の夜、風の又三郎、注文の多い料理店などの影にかくれて目立たない作品ですが、そういう賢治の思いが強く出ていて印象に残る作品です。

 

 

宮沢賢治について

明治29年(1896年)~昭和8年(1933年)

詩人・童話作家・教育者・農芸化学者・宗教者として、全生涯を貧しい東北農民たちのしあわせのためにつくした。

詩集『春と修羅』、童話集『注文の多い料理店』、没後にその全作品を収めた『校本宮澤賢治全集』(筑摩書房)がある。

 

 


虔十公園林 (ミキハウスの絵本) [ 宮沢賢治 ]


虔十公園林 (宮澤賢治の童話絵本) [ 宮沢賢治 ]

 

↓↓↓ こちらは子供にも自分で読めるように、やさしい文章になっています。


虔十公園林/ざしきぼっこのはなし (宮沢賢治のおはなし) [ 宮沢賢治 ]

 

 

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Pent〈ペント〉のボトル・インク『銀河鉄道の夜』感想・レビュー

美しい夜空を走る銀河鉄道。

そこはかとなく漂う哀愁を深い濃紺の色に込めました。

―文具ライター・武田健―

 

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・・・というボトル・インクが、これです。

お題「これ買いました」

 

言葉に色があることを インクが教えてくれました

 

流石、文具ライターだけああって、上手いこといいますね~~~(*´Д`)

というよりも、やはり 銀河鉄道の夜宮沢賢治に惹かれて、

どんな色なんだろうと思って、買ってしまいました。

お値段は、2,750円でした。

とても素敵な色でした。

どんな色かというと・・・・

 

細字で書いてもブルーであることがわかるくらいの明るさを保ったのは、悲しみの中に主人公がそれを乗り越えて幸せのために生きていこうと誓っているから。

そこに希望が見える。

それを少しの明るさで表現したいと思った。

 

というカードが、箱に添えられてありました。

上記の色をもっと深くした色合いでしょうか・・・。

 

銀河鉄道の夜のラストは、カムパネルラのお父さんから、ジョバンニのお父さんが帰ってくると知らされて・・・

 

ジョバンニはもういろいろなことで胸がいっぱいでなんにもいえずに博士の前をはなれて早くお母さんに牛乳を持って行ってお父さんの帰ることを知らせようと思うともう一目散に河原を街の方へ走りました。

 

ここは句読点がなくて、一気に書いてあるんですね。

 

カンパネルラのお父さんは自分の息子が河に落ちてしまって、

「もう駄目です。落ちてから四十五分たちましたから」

と絶望しているさなかに、ジョバンニのことを思いやるという高潔な人物として描かれています。

カムパネルラがザネリを助けるために水に飛び込んだりする子供なのも、このお父さんの影響もあるのだろうと思わされる場面です。

 

この銀河鉄道の夜というインクは、ペンハウスというところで出しています。

https://www.pen-house.net/世界の筆記具ペンハウス

 

他にも、こころ金閣寺風味絶佳蒼穹金閣寺羅生門黒蜥蜴山月記蜘蛛の糸檸檬人間失格草枕雪国トロッコみだれ髪舞姫春琴抄斜陽潮騒雨ニモマケズなど、

いろいろな文学作品のボトル・インクがそろっていて、なんだか楽しいですね。

私はあと、草枕のインクもちょっと興味があります。

あなたは、どんな色がお好みでしょうか?

 

 f:id:sakurado:20210326161259p:plain みなさん、こんにちは!

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もう11月です。早いものですね。

きのうは選挙に行ってきました。

そのあと、秋桜のスケッチをしました。

のびのびになって、今頃です。

先月は原稿書きに勤しんでいましたので、なかなか……。

勤(いそ)しむ……情緒があって、いい言葉ですね。

国語辞典には、「物事に懸命に励む」とあります。

頑張るに近いようで、ちょっとだけ違うようで……。

 

(*^^*)いつもご訪問いただいて、

スターをつけてくださる皆様に心から感謝しています。

それでずいぶん励みになりました。

いろいろ考えて、今月から非表示にすることにしました。

その他は今まで通りですので、

これからもどうぞよろしくお願いいたします。m(__)m

 

 

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木を植えた男 ジャン・ジオノ 作・寺岡 襄 訳/感想・レビュー

ただかれは、ていねいに

一粒ずつ、一粒ずつ、

荒れ地にドングリを埋めこんでいった。

かれは、カシワの木を

植えていたのだ。

 

f:id:sakurado:20211029111745j:plain あすなろ書房

木を植えた男 ジャン・ジオノ 作/寺岡 襄 訳/黒井 勉 絵

お題「我が家の本棚」

今週のお題「読書の秋」

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わたしは、巨大なアルプス山脈の末端が入りこんだ南アルプスのプロヴァンス地方の、旅人が足も踏み入れぬような古い山の辺の道を、若い足にまかせてつき進んでいた。

 

大変な荒れ地で、どこまで行っても草木はまばらで、生えているのはわずかに野生のラヴェンダーばかりという荒れ地で、そこを3日ほど歩き続けて辿り着いたのは・・・見るも無残な廃墟だったのです。

 

屋根が吹きとび、風雨にさらされたままの五、六軒の家々と鐘楼のくずれおちた協会が、わずかに昔の活況を物語るばかりで、人びとの生活の気配は消え失せていた。

 

とあります。

わたしはここでのキャンプをあきらめて、さらに5時間ほど歩き続けますが、水はどこにも見つからず、どこまでも広がる広い荒野があるばかりでした。

その時、はるか彼方に、1本の木のようにぽつんと立っていた羊飼いの男が、この本で語られている人物です。

 

男は、皮袋の水を飲ませてくれ、彼の家に連れていってくれます。

どっしりとした石造りの家で、部屋はさっぱりとかたづいていました。

一息ついて男をみれば、身づくろいもきちんとしていました。

 

男は温かいスープをふるまってくれた。

犬も飼い主同様に、まことに静かな性格で、ごく自然になついてくれた。

 

その晩、男はテーブルにどんぐりを広げて、選り分けはじめます。

小さめのものやヒビの入ったものを取り除けて、無傷のどんぐりを百粒を袋に入れると、翌朝、どんぐりの袋をバケツの水にちょっと浸して、腰にゆわえて放牧に出かけるのです。

 

やがて、めざしたところに着くと、男はさっきの鉄棒を地面につきたてはじめた。

そうしてできた穴の中に、こんどは用意したどんぐりを1つ1つ埋めこんでは、ていねいに土をかぶせた。

かれは、カシワの木を植えていたのだった。

 

あなたの土地ですか? とたずねると、いいや、と首をふるばかり。

だれの土地化とかずねても、共有地なのか、私有地なのかは知らないが、そんなことはどうでもいいさ、とただただかれは、ていねいに、百粒のどんぐりを植えこんでいった。

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その後、第1次世界大戦がはじまり、5年の歳月をわたしは戦場で過ごし、戦争からもどると再びあの荒れ果てた地へと行ったのです。

男は戦争などどこ吹く風と木を植え続けていたのです。

1910年に植えたカシワが10歳になり、わたしやかれの背丈を越えていたのでした。

林は3つの区域に分かれて、総体の長さ11キロメートル、最大幅3キロメートルほどの広さになっていました。

カバの木たちは、若者のようにすっくと立ち、みずみずしさにあふれていました。

さらに村ぞいに降りてゆくと、小川のせせらぎに行きあたりました。

 

風もまた種をまき散らす役目を果たした。

水がふたたび湧きだすにつれ、ヤナギは芽を吹きかえし、小さな牧草地や菜園や花畑がつぎつぎに生まれて、生命の息吹がよみがえった。

 

思わぬ森の出現に森林監視官がやってきたり、政府の派遣団が視察にきたり、第二次世界大戦では燃料にするためにカシワが伐採されたりもしました。

時には、1万本のカエデの苗木が全滅することもありました。

しかし、男はただもくもくと木を植えていたのです。

 

最後にエルゼアール・ブフィエに会ったのは、19456月のことだった。かれは87歳になっていた。

 

かつてわたしに襲いかかったほこりまみれの乾燥した風にかわって、甘い香りをふくんだそよ風が、あたりを柔らかくつつみこんでいた。

山のほうからは、水のせせらぎにも似た音が聞こえてきたが、それは森からそよいでくる、木々のざわめく声だった。

 

作者のジャン・ジオノは当時、フランスを代表する作家の一人でした。

アメリカの雑誌「リーダーズ・ダイジェスト」から、「これまで出会った、いちばん忘れがたい実在の人物について」書くように依頼を受けて書いたのが、この『木を植えた男』でした。実際には、このエルゼアール・ブフィエという人物が実在したかは定かではなかったようです。

しかし、ジャン・ジオノは、

「わたしはすべてを創作するように心がけた。ただし、実在した何らかのものを語ることによってである。なぜなら、無から創作するなど神さまにしかできないことなのだから」

と語っています。

それはつまり、多くの作家がそうであるように、モデルとなる人物が存在したということなのでしょう。

それにジャン・ジオノの体験や思いをのせて脚色して、書き上げた文学作品ということになります。

それがどの程度、実在の人物に近いかどうかは問題ではありません。

なぜなら多くのンフィクションでさえも、多かれ少なかれ作者の視点や心を通過して書き上げたものなのですから、100%その人であるわけではないからです。

 

そして、この作品はそれらを差し引いても、余りあるすばらしい内容を物語っているからなのです。

この農夫は、日本でいえば、あの宮沢賢治のような・・・印象を受けます。

彼はこの男について、最後にこう語っています。

 

ところで、たったひとりの男が、その肉体と精神のかぎりをつくして、荒れはてた地をカナンの地としてよみがえらせたことを思うとき、わたしはやはり、人間という存在のすばらしさをたたえずにはいられない。

 

魂の偉大さのかげにひそむ不屈の精神。

心の寛大さのかげにひそむたゆまぬ執念。

それらがあって、はじめて、すばらしい成果がもたらされる。

そのことを思うにつけても、この、神の行いにひとしい創造を成しとげた名もなく学もない老いた農夫に、かぎりない敬意をいだかずにはいられない。

 

 

作者 ジャン・ジオノ

1895年、南フランスのプロヴァンス地方マノスクに靴職人の息子として生まれる。

両親の慈愛のもとに、プロヴァンスの自然とギリシア・ラテンの古典に文学的要素を育まれながら育つ。

16歳で銀行に勤めはじめ、1914年、第一次世界大戦に出征するが、帰還後、1929年出版の「丘」が認められフランス文壇にデビュー。

以来、プロヴァンスの風土を背景に大地と人間の厳しい交流を叙事的文章でつづった。

「世界の歌」「喜びは永遠に残る」「真実の富」などの作品で文名を高めた。

第二次大戦時、徴兵拒否運動や対独協力容疑で2度投獄されたが、戦後、「気晴らしのない王様」「屋根の上の軽騎兵」などの作品が再び注目をされ、アカデミー・コンクール会員に選ばれるなどの名声を確立した。

 


あすなろセレクション 木を植えた男 [ ジャン・ジオノ ]

 

こちらはカラーの絵本になっています。

文章はジャン・ジオノの叙事的な印象をそこなわないように、ふりがなはありますが、もとの(上記の)硬い文章のままですので、大人が読み聞かせをしたほうがいいかもしれません。


木を植えた男 [ ジャン・ジオノ ]

 

 

 f:id:sakurado:20210326161259p:plain みなさん、こんにちは!

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10月ももう残り少なくなってまいりました。

今週のお題は、読書なんですね。

じゃあ、ぽちっと・・・。

 

今週のお題「読書の秋」

 

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北風のわすれたハンカチ/安房直子/感想・レビュー/児童文学

安房直子さんの作品は、冒頭の1行を読んだだけで、もうすでにその不思議な世界にぐうっと引き寄せられてしまいます。

そこからあなたは、もうふしぎな物語の世界に入っていって、気づいたときにはすでにふしぎな世界の住人になっていることでしょう。

 

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北風のわすれたハンカチ 安房直子・作/偕成社

お題「我が家の本棚」

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北風のわすれたハンカチ

 

くる日もくる日も北風の吹く寒い山の中に、クマの家がありました。

 

これだけでもう、クマの寂しいようすが手に取るようにわかってきますね。

このクマはツキノワグマで、四歳でした。クマは四つで大人になるのですが、このクマについて、こう書いてあります。

 

胸の白いかざりは、くっきりと、すてきな三日月形をしていましたし、からだも、なかなかりっぱでした。

けれども、心は、まだすこし子どもでした。

「さびしくて、胸の中がぞくぞくするよ」

 

クマはひとり暮らしでした。半年前に、

 

やっぱりこんな風の日に、人間というやつがきてね、

父さんがドーンとやられて、

母さんもドーンとやられて、

妹も弟もみんなおんなじで、ぼくだけ残ったんだよ。

 

と言います。

もう、これだけでこのクマの今置かれている寂しい暮らしが、よくわかってきます。そして今年は、冬をたった一人で過ごさなければならないのです。

 

とってもさびしいんだ。胸の中を、風がふいているみたいに。

 

そこでクマは、音楽をおぼえて寂しさをまぎらわそうと思い、

どなたか音楽をおしえてください。

お礼はたくさんします。

という張り紙を出しました。

 

最初にやってきたのは、青い馬にのった青い人でした。北風でした。

その人は手に金色のトランペットをにぎっていました。

けれど、トランペットを口に持っていったら、前歯にぶつかって歯が1本折れてしまったのです。

「もう、見込みがないね」北風はいうと、冷蔵庫に大切にしまっておいたパイナップルの缶詰を持っていってしまいました。

クマに息は、抜け落ちた歯のすき間から、すうすうと小さな風のようにぬけて、前よりも寂しくなったのです。

 

つぎにやってきたのは、青い馬にのった青い女の人でした。この人も北風で、バイオリンを持っていました。

クマがメヌエットのすばらしい調べを胸にうかべて弓をこすると、体じゅうに鳥肌が立つほど嫌な音がでました。

「あんたには、すこしむりなんだよ」北風のおかみさんはいうと、冷蔵庫にしまっておいた山ぶどうのかごを、教えたお礼にと持っていってしまいました。

 

クマはすっかり、ガッカリしてしまいます。前歯を折ってしまったうえに、冷蔵庫も空っぽになってしまったわけですから。

やがて雪がふってきました。するとまた、青い馬にのった青い人が立っていたのです。

クマはまただと思って、青い人にはうんざりしていたのですが、今度の北風は、まだ子供でした。

 

まるで、青い花びらのように。少女は、母さんゆずりのながい髪の毛を風になびかせて、

「クマさんこんにちは、お元気ですか?」と、あいさつしました。

 

この少女がとても感じが良かったので、家に入れてお茶を出して、お菓子が何にもなくてというと、

少女がポケットから青いハンカチを出して魔法をかけます。

すると、ハンカチの上にホットケーキの材料とはちみつがのっているのでした。

北風の少女はホットケーキを焼いて、はちみつをかけて、一緒に食べるのです。

その時、少女は、

「ねえ、知ってる? 雪も、落ちてくるときは音をたてるのよ」

なんてことを言うのです。そこで、クマも耳をすませます。すると・・・

 

ほと、ほと、ほと、ほと、

小さな小さな音でした。けれど、やさしいあたたかい音でした。

白い花が散るときも、こんな音がするでしょうか。

月の光がこぼれるときも、こんな音がするでしょうか。

 

クマは胸がほかほかしていましたが、この子が遠くへ行ってしまったら、雪の音が聞こえないような

また寂しい自分になってしまうのではないのだろうかと、やりきれないほど悲しくなりました。

北風の少女はそのことを知っていて、しょんぼりと小さな声でいうのです。

 

あたしね、そろそろでかけなければならないの。

父さんと母さんのあいだは山三つ分。母さんとあたしのあいだも、山三つ分。

けっして、それよりはなれてはいけないの。それが、北風の国のきまりなんだもの。

 

クマに後ろを向いて、50まで数を数えるようにいって、少女は去っていきます。

クマがやっとの思いで50まで数えて、「もういないんだな」と思ってふりかえると、

さっき少女がすわっていた椅子の上に、

さっきの青いハンカチが、ふわりと置いてあったのです。

 

クマは、すてきなことに気づきました。

(あの子は、またここへくるかもしれないぞ)

そうです。だいじなハンカチをわすれたのですから、この次ここをとおったときには、きっとよってくれます。

 

大事にしまっておこうと考えて、クマはそのハンカチを一番安心な場所を思いつきました。

それは自分の耳の中でした。

すると突然ふしぎな音楽が聞こえてくるのです。

ほと、ほと、ほと、ほと・・・

ああ、それは、雪の音でした。

 

いつか、クマの家は、このやさしい雪にうもれていきました。屋根も、えんとつも、すっぽりと。

そして、家の中では、耳に、青いハンカチを、花のようにかざったクマが一ぴき、しあわせな冬ごもりにはいったのです。

 

私はふと、北風の少女は、ほんとうに青いハンカチを忘れていったのかしら? と思うのです。

もしかしたら、わざと置いていったのかもしれないと。

北風の女の子は、先に来た2人と違って、クマにとてもやさしくします。

 

このクマは去年の冬は、家族がたくさんいたのです。

家族と一緒に、冬を越していました。

ところが、今年の冬は、ひとりぼっちで寂しく過ごさなければなりません。

だけど北風が忘れていったハンカチがあって、クマは幸せな気持ちで過ごすことができるようになりました。

春になったら、きっと、今度は心も大人のクマになっていることでしょう。

だけどそのクマは、きっと心に、優しさのカケラをそっと抱いたクマになるのではないでしょうか。

なぜなら、自分がそうされたからです。

人に優しくするのはどういうことなのかを、知ったからです。

寂しくて、心の中に北風が吹いている人に、どうしたらいいのかをこの北風の少女は教えてくれています。

 

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小さいやさしい右手

 

ずっと昔。

森の、大きなかしわの木の中に、まものが一ぴきすんでいました。

 

この魔物はまだ子供で、使える魔法は、右手に欲しいものが入ってくるというものでした。

魔物は覚えたてのこの魔法を、誰かに見てもらいたいと思いましたが、魔物というものは一人前になる前に、人に姿を見せてはならないという決まりがありました。

魔物がいるかしわの木の前を、毎朝そろって姉妹が通り過ぎました。姉妹の母親は2人を差別しました。妹の娘は自分の本当の子供ではないので、錆びたカマを渡したのです。

それで妹の娘は、草を刈るのに手間取って帰りがいつも遅くなったのでした。

そこで魔物は、妹の娘に声をかけて、よく切れるカマを貸してやることにしました。

その時の合図は、やさしい声で、こう歌うのです。

 

小さいやさしい右手さん

あたしにかまをかしとくれ

氷みたいによくといだ

まほうのかまをかしとくれ

 

すると、木の影から魔物の手がにょっきりとのびて、研ぎ澄まされたカマがにぎられていました。

妹の娘は、そのカマを使って草刈りが早く出来るようになりました。

しかし、それを不審に思った姉の娘に秘密を知られてしまい、母親に告げ口をします。

母親は妹の娘よりも朝早く来て、マネをして歌を歌うと、木の後ろから黒い手がのびてきて、ピカピカのカマを差し出しました。

そうして母親は、そのカマをひったくると、いきなり、魔物の手の上に降りおろしたのです。

こうして、魔物の子供は、右手を失くしてしまったのでした。

 

まものは自分の手を切ったのは、てっきり、あの子なのだと思っていました。

とつぜんうらぎられたおどろきは、十日たっても、二十日たっても、まものの胸から、はなれませんでした。

 

そうして、何か月かすぎ、まもののこのおどろきは、やがてかなしみにかわりました。

まものはこのとき、かなしいということを、はじめて知りました。

 

そして……そんなかなしみがたびかさなると、なみだのかわりに、まっ黒いいじわるな心がむらむらとわいてくるのが、まもののさだめなのでした。

 

そして魔物は、あの娘に、しかえしをしてやろうと考えるのです。

20年もかかって魔物は、人間の姿をほかのものに変えるという新しい魔法を身につけました。

人間の子供の姿になった魔物は、村へ行って、ギラギラした目であの娘を探しますが、なかなか見つかりません。

なぜなら魔物と人間の生きる時間の長さが違っていて、魔物はまだ子供のままなのに、人間はもう大人になっていたからです。

それでもやっと探しあてた娘は、粉屋のおかみさんになっていました。

粉屋のおかみさんは、魔物とは知らないで、やさしくしてくれてお菓子までくれたのです。

 

ああ、この人だろうか・・・でも、まさか・・・まものの片手は、なぜか、ぶるぶるふるえました。

 

まものは、とぎれとぎれにいいました。

「おばさん・・・お菓子をくれたあなたの手を・・・いきなり切ってしまうなんて・・・そんなこと、ぼくには、とってもできないな・・・ねえ、そうでしょ、そうじゃないの、おばさん」

 

おかみさんは魔物の腕を見て、なぜ、こんなことになってしまったの?と言って、涙を流します。

魔物はこのとき、初めて涙というものを見たのです。

そのうち、なんとなく、そして、だんだんはっきりと、まものは、ほんとうのことをしりました。

「ねえ、あなたじゃなかったの?」

 

「じゃあだれ? だれがしたの?」

そういう魔物に、おかみさんはこう言います。

「わからないわ。でも、もうその人のこと、ゆるしてあげられない?」

 

「ぼくには、とってもできないな」

しばらく、ふたりはだまっていました。

やがて、まものは、しょんぼりといいました。

「だって・・・あなたのいうことが、ぼくにはわからないんだもの。なぜそうしなきゃならないのか、どうしてもわからないんだもの」

そしてこのとき、まものは、はっとしました。

(それは、ぼくが、まものだからだろうか)

いまはじめて、まものは、自分がまものであることを、つくづくかなしいと思いました。

おかみさんの持っている、ひとかけらのすきとおったものを、自分もほしいと思いました。

 

そして、いまはじめて、まものの目から、ポロンと、なみだがおちました。

 

このお話は、とても大切な課題が書いてありますね。

そして、なかなか出来ません。

人を許すということです。

憎しみは憎しみの連鎖しか生まないとよく言われます。

どこかで、誰かが、許さないと、それは永遠に続いていってしまいます。

理屈ではわかるんですが、これは本当に難しいことです。

 

「ま、いっか。」

 

これです。

どんな小さなことでも、許すと、なんだか肩の辺りが軽くなったような気がしませんか。

「許せなかったら、許せない自分を許すといってください」

と言っているのは、斎藤一人さんです。

 

それにしても、魔物がいきなり裏切られた驚きから、悲しみ、それから憎しみに変わっていく心情が本当に良く書けていて心に伝わってきますね。

さて、このお話のラストは書かないでおきました。

 

赤いばらの橋

 

がけっぷちに、みどり色の鬼の子がこしかえて、遠くをながめていました。

がけの下は、ぞっとするほどふかい谷で、そのむかいがわにも、やはり、切りたったがけがありました。

 

小鬼はがけの向こう側には何があるのか、知りたがっていました。

南側の森からは、きれいな音楽が聞こえてくるので、鬼ではないと思っていました。

そんなある日、赤いフェルトの帽子が強風で飛ばされてきたのです。後ろにはリボンがあって、甘いにおいもします。

小鬼は、この赤い帽子の持ち主は、「いいにおいのする、かわいい女の子」だと思いました。

そこで、返してあげようと思い立ちます。

仲良しの鬼の女の子に、三つ編みのやり方を教えてもらうと、蔦を三つ編みにして、崖の間につたの橋を渡します。

小鬼はつたの橋を渡って、崖の向こう側へと行くのです。

 

南のがけの上には、魔女が住んでいました。魔女は森の中に大きなバラ園を持っていました。

魔女には小枝という娘がいて、バラ園の真ん中の香水工場で働いていました。

そこからよく耳にしたやさしい音楽が聞こえてきます。

 

「ああきっと、ここにいるんだ」

小鬼は、塔にかけよって、大きな声でよびました。

 

すると、音楽がやみ、とびらがぱっとあいて、顔をだしたのは、いじけたように小さい女の子でした。

灰色の髪は、ほうきのようにボサボサで、まるで、イタチみたいな顔をした、魔女のむすめでした。

 

小鬼はがっかりします。

するとその魔女の子は、「あんた、母ちゃんに、みつかりゃしなかった?」と聞きます。そして、

見つかったら捕まえられてしまうといって、小鬼をかくまってくれて、マンドリンを弾きはじめます。

 

小鬼は、ついさっきまで、遠くのがけできいていたこの楽器を、こんなにも近ぢかと見ることができるのが、夢のような気がしました。

それにしても、目のまえにいる、この女の子は、なんてみっともないのでしょう・・・小さな頭に、赤い帽子をのせて、いっしんにマンドリンをひいているすがたを見ているうちに、小鬼はなんだか、もの悲しい気持ちになりました。

 

マンドリンの調べやかわいい赤い帽子を見て、小鬼はかわいい女の子を想像してきたのでしょう。

現実はまったく違っていてがっかりしたのですが、その先には、こう書いてあります。

 

けれど、とろけるような花のにおいの中で、きれいな音楽をきくよろこびを、小鬼は、はじめてしったのでした。

 

そしてまた魔女の子が、母親の魔女から何度もかくまってくれてから、少しずつ気持ちが変化していくのです。

 

「おくってあげるから、早くおかえりよ。でもあんた、いったい、どうやってここへきたの」

小枝は、やさしくききました。

「ぼくは、橋をわたってきたの。たった一本のつたの橋」

「つたの橋? それじゃ、早くしないとあぶないよ。母ちゃんは、大きな花ばさみを持ってるの」

「そう・・・」

このとき、小鬼の目に、女の子のすがたは、とてもなつかしいかわいいものにうつりました。

「こえだちゃん・・・」

小鬼は、はじめて女の子を名まえでよびました。すると、きゅうにかなしくなりました。

 

小鬼の気持ちの変化が、丁寧にすくいあげて書いてあるのがよくわかるところです。

これは星の王子さまでいうところの、ただのバラが、特別な1本のバラになるところと同じだなって思います。

 

お話はこの後もつづきますが、それはお楽しみにとっておきましょう。

 

作者・安房直子

1943年、東京に生まれる。日本女子大学国文科卒。

在学中より山室静氏に師事。

「目白児童文学」「海賊」を中心に物語を発表。

「さんしょっ子」第3回児童文学者協会新人賞、

「風と木の歌」第22回小学館文学賞、「遠い野ばらの村」第20回野間児童文芸賞、

「花豆の煮えるまでー小夜の物語」赤い鳥文学賞など多数。

 

 

 


北風のわすれたハンカチ (偕成社文庫) [ 安房直子 ]

 

f:id:sakurado:20210326161259p:plain みなさん、こんにちは。

いつもご訪問をありがとうございます!!

 

やさしさって、とっても大事なことなんだなあ・・・。

 

私事で忙しくなりますので、少しお休みいたします。

1週間くらいかな・・・。

 

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炎上される者になれ! 堀江貴文/感想・レビュー

現代を生きていると、本当に「無駄なもの」が多い。

無駄なものは、僕たちから時間や気力などの大事な資源を奪っていく。

 

とありました。

そうか、これだったのか!

気力を奪っていたのは、無駄なものだったのか!

と気づかされます。

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炎上される者になれ! 堀江貴文・著/ポプラ社

お題「我が家の本棚」

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その無駄なものとして、ホリエモンがあげているのが、

・他人の正義

・妬み嫉み

・感情論

・慣習

・駆け引き

・嘘

などです。

 

「こんなことしたら、人にどう思われるだろうか?」

「こんなことを言ったら、変に思われないだろうか?」

などと、うじうじ考えてしまう人は、結局、それをやりたいのではなくて、自分の中でやらないための言い訳を探しているだけ。

本当にやりたいことなら、人の目なんか気にせず、どんな障壁があってもやってしまうはずだ。

 

それはそうなのです。

もし、ほんとうにやりたいことだったら、なんでやるのかな~んてことは考えないかもしれない。

そして、誰かに何か苦情とか批判とか言われてから、その返答をというように、順番が逆になりますね。

しかし、ホリエモンはそういう批判とか文句を言ってくる人に、逆にこう言っています。

 

人の発言の揚げ足取りをするのは、自分がやりたいことに熱中していない証拠だ。自分が熱中していたら、そんな暇な時間はないはずだ。

人のふりばかり見て文句がいいたくなったら、あなたの熱中度が足りないサインだといっています。

そのエネルギーを自分が好きなことに注がなければならない

これが、「無駄なもの」なんですね。

 

正義感についても、

自分が正義だと思っていると、相手の反論すら許さず、とことんまでやってしまうのだ。

と、言っています。

確かに正義というものは絶対的なものではなく、人によって価値観がちがいます。

それで、しばしば悲劇が起こったりしています。

国と国との正義がまちがった方向でぶつかると、戦争になったりもします。

 

その対処法として、ホリエモンは、他人の「正義感」はスルーするのだそうです。

生真面目な人はなかなか出来ないことです。

自分の正義がその場の議論に勝って多数を味方につけたとしても、それが必ずしも正解ではないということです。

 

誰だって、皆から好かれたいし「愛されキャラ」でありたい。

でも、仕事をするなら、自分の好きなことをするなら、「9割の人に嫌われても、1割の人から好かれればそれでいい」と思う。

最終的に、少数の信頼できる仲間ができれば、それで人生はうまく回っていくはずだ。

 

人に裏切られたとしても、「人間ってそういうものだよね」と意に介さない。

裏切るという行為は、相手の課題なのである。だから、それは切り捨てる。つまり、考えないのだ。

 

ここには確固たる信念が垣間見えます。

全員に好きでも嫌いでもないと思われるなら、むしろ嫌われたいとまで言っています。この信念を支えているのが、

「自分の幸せ」の追求を、「周りの幸せ」につなげるという考え方で、これはホリエモンの根底にあるようです。

 

自分の好きな仕事に心血を注げることほど幸せなことはない。

さらにその仕事が、「周りの幸せ」につながれば、言うことはないだろう。

 

と言い、たとえば「がん撲滅プロジェクト」という大きな計画に携わっていて、「予防医療普及会」という組織をつくったのだというのです。

こういうホリエモンの側面は、あまりマスコミは紹介しないけれど、だからこそ、あれほど周りから批判されても、たじろがないのでしょう。

「僕は幸せ。そして、周りが幸せだともっといい」

ホリエモンはそう語っています。

 

このようにホリエモンはこの本「炎上される者になれ!」で、あなたからエネルギーを奪っていくさまざまなものをあげて、

その対策について、自分がどうとらえて、どのように対処しているかを語っています。

ご自身の実体験を踏まえてです。

要約すれば、

 

自分が本当に好きなことを、他人の目や批判などを気にしないでやって、

もっと自由に生きたらいいですよ。

そして、自分の好きなことが、周りの人を幸せにできたら、もっといい。

 

という、至極まっとうなご意見を述べられています。

ところが、ホリエモンが言うことが素直に受け止められない人が多いのも事実です。

ホリエモンはこう言っています。

 

炎上なんてこわくない。

むしろ、コスパがいい。

 

凄いこと言っていますね。

こういうことをいう人を、私は他に1人しか知りません。

それは今、ユーチューブ大学で活躍している中田敦彦さんです。

あの方も、同じようなことを言っていました。

 

強いですね。

つまりこれは、トラやライオンの生き方なんです。

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確かにこうすれば、人生から無駄なものを排除して、スッキリと活動できるでしょう。

「生涯の友」はいらない。

と言っているのですから、一匹オオカミのような印象も受けます。

 

しかし、それはウサギには無理なことです。

スイミーにとっても。

「自分が言いたいことを言ったら炎上してしまい、夜も眠れません」

とか、

「無視されてしまい、寂しいです」

なんていうのがオチです。

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ではこの本は、私のような繊細さん気が小さい人にとって、役に立たないかというと、そうでもありません。

たとえば、ここ。

 

ちょっと人と違った意見を言ったり、他の人がやらないことを始めたりすると、

ツイッターのフォロワー数が減ったり、知り合いがフェイスブックで悪口を書いているのが目に入ったりすることだってある。

けれども、そんなことは関係ない。

誰だって人と価値観や考え方が合わなくて、ツイッターのフォローを外すことはあるし、

「悪口」ともとられかねないことを軽い気持ちで文字にしてしまうことだってある。

そんなことにいちいち過剰反応していたら、1ミリも前に進めない。

 

こういう言葉に、救われたりする人も多いでしょう。

今の私も、すごく自信になりました。

なにしろ私は、他人の顔色や言葉が気になってしまい、行動が委縮してしまううさぎタイプなのですから。

そして、他人に振りまわされてしまう・・・という、とても残念な性格を持っています。

うさぎにはうさぎの、

ペンギンにはペンギンの、

オランウータンにはオランウータンの生き方があります。

でも、時どきは、あるいはちょっとだけ、ライオンの生き方を取り入れてみるのも悪くはありません。

それであなたの生き方が、もっと良くなるのであれば。

もちろん、羊さんにとっても・・・・。

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ところで、あなたは・・・

あなたは、たとえると何になるのでしょうか?

 

 

f:id:sakurado:20210326161259p:plain みなさん、こんにちは。

いつもご訪問をありがとうございます!!

なんだか急に肌寒くなってまいりましたね。

ご自愛くださいませ。

 

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