「こちらの道を通ったら、〇〇まで近いですか?」
この質問に対して、
A:「はい。行けますよ。道が狭いので、スピードを出し過ぎないように」
B:「はい。行けますよ。しかし、昨年は3つ目の曲がり角で、3軒の脱輪・墜落事故がありました。その前にも、4つ目の谷筋で土砂崩れがあり、2台の車が巻き込まれて全員死んでいます。安全を関変えるのなら、少し遠回りになりますが国道を通られるのがいいと思います」
あなたは、AとBと、どちらがインパクトを感じますか?
東山紘久著 創元社
多くの人は、Bの方と答えるでしょう。
具体的なものの方が効果的で、助言は有効に作用します。
毎日発表される交通事故の死亡やケガの件数などは、単なる情報で効果はありません。
けがの件数は具体的情報ですが、あなたにとってあまり関連性が無いからです。
このような情報は、不安をかきたてるだけになります。
最近、毎日発表されるものでは、コロナの感染者数があります。同時に重症者数なども発表されていますよね。
年齢ごとの感染者数も分析されています。それによると、20代~30代の若い年代の感染者数が著しく増加しているとあります。
そのため、「若い人は外出を控えましょう」とか、「集まって飲酒をしないようにしましょう」と呼びかけています。しかし、その呼びかけの効果はほとんどないようです。
それはつまり、効果が無効となっているからです。
それよりも路傍にそっと置かれた新しいお花の方が、交通事故の警鐘としては効果的でしょう。新型コロナでは、志村けんさんのように・・・。
あまり効果がない助言は、正しいけれどもわかりきった学校によくある陳腐な標語のようなものだと東山氏は言っています。
「廊下は走らないように」
「食後は歯を磨きましょう」
これらの助言は、社会習慣をつける意味では大切ですし、小学校低学年には有効です。
でも、すでに頭で理解している子供には、もはや効果がありません。
「スピードはひかえめに。ブレーキは早めに」の交通標語と同じです。
これで交通事故が減ったとは思われません。
野生動物の親は、本当の危険が迫らないと警戒信号を出しません。
子供は親の言うことをきかないと、死が待ちうけているので親には無条件で従っています。
しかし、人間の親は自分の心配から、「いってらっしゃい。車に気をつけて」と、まるで挨拶のように警戒信号を出します。
ひんぱんに出る警戒信号は、実際の危険性がない場合がほとんどです。そのため子供は、だんだん警戒信号を軽く考えるようになってしまいます。
頭では理解できても、その人の行動変容させるまでの効果はありません。
具体性のない警告助言が、いちばん効果が無いのです。
助言は相手の感情に訴えなければ意味が無いのです。
そのためには、相手のことがわかっていなければなりません。
コロナ禍で、20代~30代の若者は、
居酒屋が閉まっていれば路上で集まって飲んでしまいます。
なぜ、そこまでして飲まなければならないのでしょうか?
人は誰でも話を聞くよりも、話すほうが好きなのです。
しかし、若者を取り巻く環境では、上から下へと話を一方的にされることが多いのではないのでしょうか。
一方的に聞き手にならなければならないときは、疲れるのです。
たとえば上司の飲み込めない話をたくさん聞かされると、心理的なストレスで病気になってしまう人もいます。
そういう溜まったストレスは、同じ年齢の若者同士で飲んで話して発散させる以外にないのかもしれません。
若者にとっては、コロナに罹るよりも、ストレスを発散させうつ病にならない方が重要なことなのかもしれません。あくまでも推測ですが・・・・。
安易にあそこもダメ、ここもダメ、と追い立てるのではなく、ここならOKという場をつくって提供するべきなのではないのでしょうか?
相手の心がわかったときに、警告的な助言ではなくて安心感を与えるような助言、人間の知恵のひと言が言えます。
これができるためには、話し手が聞き手の人格を尊敬している必要があります。
聞き手がじゅうぶんに相手の話を聞かず、話し手との間に乖離があると、その助言は相手の心に入っていかず、無効になってしまいます。
そろそろ、朝顔の絵を完成させたいな(*´ω`)
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